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大学入試現代文のすゝめ

あらB(@ark_b)さんのじゆうちょうアドベントカレンダー2021の12/6(月)を担当させていただくことになりました、ごまです。この人誰だ!?という方も多いと思うので、簡単な自己紹介の後に、今年私にとって個人的に起こった小さな変化にも少し関係する「大学入試現代文を大人になってから読み直す」ことについて書こうと思います。

自己紹介

あまり細かく書きすぎるとインターネットリテラシー的な部分でよくないのですが、大雑把に書きすぎるといまいちこの投稿の内容が読んでいてもよくわからないという事態になってしまうので、難しいですが、私の身分などを箇条書きでここに整理しておきます。

  • 現在20歳、大学3年生、あらBさんとはスプラトゥーン2というゲームをきっかけに知り合いました

  • 東京大学の教養学部という学部に現在進行形で通っています(履修している授業は現在全てオンラインなので、厳密に言えば通ってはいませんが…)

  • Q:専門は? A:教養です…(震え声)(勉強不足が故に専門分野が確立できないダメな教養学部生)

大学入試現代文をもう1回読み返すことになった経緯

大学3年生、それは、周囲の人々が少しずつ就活や卒論の話題で忙しくなり始め、着実にモラトリアムの終わりへと足を踏み入れる時期です。そんな時期にもかかわらず、いまだに3年前の大学入試の点数を自慢していたり、大学入試の問題が上手に解けることを誇りにしていたりする人は、周囲から「過去を生きる人」(「過去にしか生きられない人」?)と馬鹿にされます。
しかし私には今年、3年ぶりに大学入試と向き合わなければならない理由がありました。大学入学後3年間続けてきた教育系(個別指導)のアルバイトで、東京大学を志望している高校3年生を指導する担当になってしまったのです。しかも現代文と英語の2科目。英語は大学入学後も(一応)触れてきたからまだいいとして、入試現代文をきちんと教えるためにはリハビリが必要です。こうして、私は高校卒業以来実家に眠っていた『東大入試詳解25年 現代文 2017〜1993』(駿台文庫)(以下、「青本」)を引っ張り出し、3年ぶりの「受験勉強」をはじめたのでした。

意外にも、面白い

少し懐かしい気持ちもありつつ青本をめくっていると、「読解」をし与えられた問いに答えるのに必死だった3年前、受験生の時には感じられなかった楽しさや面白さが、25年分の東大現代文の過去問が収録されたこの参考書にはあることに気が付きました。こうして、私の今年から始まった新しい(そして自分でも奇妙だと思う)趣味、「色々な大学の入試問題の、現代文を読む」が生まれたのです。
国語の入試問題なんて、どこが面白いのか。意味がわからない方も多いと思うので、以下では「大学入試の現代文を大人になってから読み直す」ことの魅力を紹介していこうと思います。実際に話題になっている入試問題を見ることができた方が面白いと思うので、インターネット上で発見することができた問題に関してはそのリンクも添えておきます。

※大学入試問題の著作権は当然その大学にあり、さらに現代文に関しては問題に用いられているもとの文章の著作権がその文章の著者に属するため、権利の問題が(たぶん)複雑です。したがって大学の公式HPや認可を得ていると思われる大手予備校のサイトなど以外でアップロードされている入試問題は、基本的にはアウトだと思われます。そのようなグレーな領域でのアップロードも含めれば、東大などの有名大学の過去問はかなり古いものまでネット上で見つけらますが、それをここで紹介するのはよろしくない(あらBさんにも迷惑がかかりますし)のでそのようなものに関してはリンクを添えていません。もしリンクが添えられていない過去問の内容が気になる方がいましたら、「◯◯大学 ◯年 過去問 現代文」などで検索すれば比較的容易に見つかりますので、各自でよろしくお願いします

 

魅力① センスが良い

いきなり直球ですが、とにかく持ってくる文章のセンスがどれも良いです。当たり前と言えば当たり前の話ですが、大学入試問題を作っていらっしゃるのは大学の先生で、読書量、知識量、学問的視野の広さなどは間違いないと言えます。しかも、実際の大学入試問題となると問題作成は複数人がかりで、多大な時間と労力をかけて行われます。現代文の問題として出題する文章の選定は、難易度だけでなく、内容がその大学が志望する学生に求めている思考力や読解力、学問的興味のあり方などの像に適しているかも踏まえて、慎重になされていることでしょう。
加えて、その本の全文を短時間の試験の中で読ませるわけにはいきませんから、選び抜かれた1冊の文献の中から、さらにその内容やエッセンスが凝縮された一部分のみを抜粋して出題しなければなりません。言うなれば、入試問題の現代文は、大学の先生が「読むべき本」の「特に読むべき一部分」までを抽出してくれて、食べやすい形で提示してくれている「読書界の一口ヒレカツ」なわけです(?)。

一口ヒレカツのいらすとはなかったので、似たようなものとしてわんこそばのいらすと。

文献探しに難儀する文系の学生出身の方には特に共感していただけると思うのですが、面白そう/自分の関心分野を深められそうと思った文献を実際に読んでみて、内容が薄かったり、読んでも新しい気づきが少なかったりで微妙な気持ちになるという経験はつきものです。入試現代文にどの文章を持ってくるかというチョイス力は、ある意味その年度のその大学の(特に人文学系研究の)「看板」になります。看板にしても恥ずかしくないレベルの良い文章を、読みやすい長さにカットしてもらった状態で読むことができる。これほど楽なことはありません。

※ただし、本当に面白いと思ったらきちんとその本全体を読まないと、やはり得られるものは少ないことは確かです。あくまで一口カツなので普通の読書の合間のおやつ感覚に…

ひとつ例を挙げれば、2019年の東京大学の第1問(出典:中屋敷均『科学と非科学のはざまで』)は個人的には読み返してみるとかなり良さみが深かった文章でした。福島原発事故をはじめ、科学技術や人間の理性が必ずしも「良い方向に」働くわけではない、ということが再確認された激動の2010年代を締め括る出題として、東大がこの文章を持ってくるということは極めて印象的でしたし、実を言えば2019年は私が東大を受験した年なので、問題を解くのに必死だったあの日の自分には味わうことができなかった本文の魅力が今になって読み返すと理解できるという楽しさも相まって、大好きな過去問の一つです。

魅力②  大学/時代ごとの「カラー」がわかる

それなりに色々な大学や年代の大学入試問題を読んできてわかったことですが、現代文の問題文として引用する文献のチョイスは、ある程度大学(学部)ごと、時代ごとに異なっているようです。例えば早稲田大学などの多くの学部が存在する大きな大学では、政治経済学部用の入試問題(当然、社会科学系の文章が出題される傾向)と文学部用の入試問題(こちらも当然、人文学系の文章が出題される傾向)が存在します。しかし、文1から理3までが全く同じ文章を出題される東大でも、面白いことに、時代ごとに微妙に選ばれる文章の傾向が異なるようです。手元に「青本」があり参照しやすいという都合上から東大の例ばかりになってしまい申し訳ないのですが、実際の東大現代文の過去問を用いて魅力②を語ってみます。
まず、個人的に抱いている東大現代文(第1問)を他の大学と比べた際の特徴についての印象は、「科学哲学」(科学技術論)の分野からの出題が極めて多いということです。「テクノロジーは、人間的生のあり方を、その根本のところから変えてしまう」という締めくくりの文章が印象的な2017年(出典:伊藤徹『芸術家たちの精神史ー日本近代化をめぐる哲学ー』)などはまさにその典型ですが、広い意味での科学哲学に全く関連しない文章は、過去の25年間を見てもほぼひとつも出題されていないと言っても良いと思います。戦後に設置された教養学部教養学科において、中心的な学科であった科学史・科学哲学科(科史・科哲と呼ばれていたようです)の空気感が今でも東大の人文科学系(特に駒場キャンパス=教養学部)において強く残っているため(参照)、あるいは、東大がまさにその最先端を務めている日本の科学研究に対して、少なからず”(自己)批判的な視点”を持ってほしいというメッセージが込められているためなど、本当のところは私にはわからないながらもさまざまな理由が考えれれますが、少なくとも、科学技術批判、テクノロジー批判の視点は東大現代文の一つの「カラー」と言えるでしょう(上述の2019年や2017年のような文章を理1[※他大学でいう理工学系]を志望する理系の高校3年生も読んでいる、と思うとなんだか文系の私はドキドキしちゃうわけです)。

伊藤徹『芸術家たちの精神史ー日本近代化をめぐる哲学ー』から出題された 2017年については、もうひとつ面白い話があります。実はこの年のセンター試験国語の第1問(出典:小林傳司『科学コミュニケーション』)でも、かなり内容が近い科学技術批判に関する文章が出題されたのです(個人的にはこっちの方が面白いしわかりやすい!)。大学入試問題を作成したこの年の東大の担当者はセンター試験の問題を見て冷や汗をかいた(センター試験は1月、大学で実施される二次試験は2月なので)かもしれませんが、ともかく、2017年の東大受験生はセンター試験と2次試験で似たような内容の文章を2回読まされたわけです。


また、同じ科学哲学の分野からの出題でも、年度によってすこしトレンドが異なっているところも読んでいて面白いです。長くなってしまうので詳しくは書きませんが、2000年(出典:加茂直樹『環境と人間』)と2012年(出典:河野哲也『意識は実在しない 心・知覚・自由』)はかなり内容が共通・類似しているながらも、微妙に内容の展開や着眼点が異なっており、その相違の背後にある20世紀末と2010年代初期の時代的な背景の違いをなんとなく考えてみると面白かったです。また、2004年(出典:伊藤徹『柳宗悦 手としての人間』)と2017年(出典:伊藤徹『芸術家たちの精神史ー日本近代化をめぐる哲学ー』)は同じ著者からの出題という珍しい例ですが、2004年と2017年でやはり「なぜこの年にはこれをもってきたのか」を想像してみると楽しいでしょう。

余談ですが(そして今の東大志望の高校生の方々には朗報ですが)、東大の過去の現代文の問題と比べると、試験では明らかに近年の現代文の文章はわかりやすいものに変わってきていると思います。昔の現代文の問題は難解で哲学的なものが多かったですが、近年は結構具体的だったり身近な話に落とし込めたりするような文章が多い印象です。これも、大学が学生に求める「読解力」がより「情報処理力」に近いものへと変わってきたという傾向の証でしょうか。

魅力③ 興味が広がる

これが私にとって最大の、そして私がアドベントカレンダーに「私の2021」を代表する内容として入試現代文を選んだ理由でもある魅力です。
魅力①でも語りましたが、入試問題の文章はあまり長くなく、それでいて内容が豊かな学問的文章なので、やや偏りはありながらも、様々な分野の魅力が詰まったバラエティーセットと言えます。なので、あまり興味がなかった学問分野や本にも関心が芽生えるきっかけになるわけです。
私は元々、経済学を勉強したくて大学に入学した身で、関心がある文章といえば社会科学、すなわち経済学や政治学、社会学などに関連するものに限られていました。しかし今年、ある大学入試の過去問(申し訳ないのですが、どこの大学の何年の問題だったかを忘れてしまいました。マーク式の問題だったことは覚えているので、私立大学であることはわかるのですが…)で出題されていた藤垣裕子『専門知と公共性 科学技術社会論の構築にむけて』が、あまりにも初めて読むような内容で面白かったため、amazonで即購入して全体を読むことになったのです。この本が、私が科学技術社会論(詳しくは他の投稿か何かで紹介したい学問ですが、要するに科学技術と社会の関係を考える学問です)への関心を持つきっかけになりました。そして、あまり詳しくは説明できませんが、その関心の変化によって、大学で履修するコースや専攻、ぼんやりと考えていた卒論のテーマも変えてしまうことになったのです(!)。そして科学技術社会論を勉強する一環で、科学史や科学哲学にもそれなりに深く触れることになる。すると、前知識を持った状態でもう一度読む東大現代文の過去問がさらに面白くなる。まさに、入試現代文からはじまり、入試現代文に着地する好循環。こうして、3年生にもなって、大学入試(の問題)がきっかけで大学生活が変わってしまったのです。こんなことも起こるぐらい、入試現代文は奥深い(めでたしめでたし)。

まとめ

現代文に限らず、高校で学習する内容がギュッと詰まった「大学入試関係の参考書」という本は、受験から離れた後に見ると意外と読み物として面白い、ということに気付かされます。じつはこの投稿で何を書くか考えていた時に、内容の候補の一つとして、数学解説 YouTuberとして有名な鈴木貫太郎さんの「大学入試問題数学 不朽の名問100 大人のための”数学腕試し”」という本を買って、今になってもう一度大学入試数学を復習してみたという2021エピソードもありました。また、高校時代の世界史・日本史の教科書や資料集は今でも大事な宝物です。温故知新、というとありきたりですが、昔のことを思い出して、テストや入試から解放された今だからこそ気楽にできる「勉強」を楽しむのも、案外悪くないよ、という話でした!

書く前からこうなることは想像していましたが、読み返してみても、かなり訳のわからない、長くて小難しい文章になってしまうようなテーマを選んでしまいました。最後まで読んでくださった数少ない方には心の底からお礼を申し上げます…。


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