作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

五月の花橘

2016年05月12日 | 日記・紀行

                                                                平野神社の花橘20160513


五月になると「さつき」という連想でよく思い出す歌。男女の間に生まれる物語は、古今東西似たり寄ったりであまり変わらないという感想をもつ。 お隣りの中国でも同じような主題で京劇か何かによく演じられる有名な芝居を、かなり昔に見た覚えがある。この和歌は古今和歌集では夏の歌に入っている。伊勢物語は在原業平が主人公だから彼の詠じた歌とされる。旧暦の五月は皐月で、すでに夏の候になっている。新緑の五月の連想から。この和歌に込められた男の情感にも深く愛着を覚える。

 

伊勢物語 第六十段

むかし、をとこありけり。宮仕へいそがしく、心もまめならざりけるほどの家刀自、まめに思はむといふ人につきて、人の国へいにけり。この男、宇佐の使にていきけるに、ある国の祇承の官人の妻にてなむあると聞きて、女あるじにかはらけとらせよ、さらずは飲まじといひければ、かはらけとりていだしたりけるに、肴なりける橘をとりて、

さつき待つ 花たちばなの 香をかげば むかしの人の 袖の香ぞする

といひけるにぞ思ひいでて、尼になりて山に入りてぞありける

昔、ある男がいた。宮中での仕事に忙しくて、心にも構ってやれなかった間に、その妻は誠を尽くして愛しますと言う他の男に付き従って、よその国へ行ってしまった。それから時を経て、出世した昔の夫が宇佐八幡宮の使いとして訪れた時、女がある国で接待役の官吏の妻となっていると聞いて、女主人に盃を取らせよ、さもなくば酒を飲むまいと言ったので、女が盃を差し出したところ、酒の菜の橘を男は取り上げて

さつき待つ 花たちばなの 香をかげば むかしの人の 袖の香ぞする

五月を待って咲き始めた花橘の香りをかぐと、昔に慣れ親しんだ人が袖に薫き込めていた香りを思い出します

と詠んだので、女は男が昔の夫であることを思い出して、女は尼になって山に隠れてしまったという。

大伴家持の橘の歌一首

吾屋前之 花橘乃 何時毛 珠貫倍久 其實成奈武

我が宿の 花橘の いつしかも 珠に貫くべく その実なりなむ
                      
私の家の前に咲いている橘の花 なんとか早く
     珠のように貫くことのできる 実になってほしい

業平もきっと万葉集に親しんでいたのだろう。

                                                               

 

※追記20181229Sat

今年の秋、2018年9月4日に、平野神社は台風21号の暴風雨を受けて、拝殿が崩壊するなど大きな被害を受けました。平野神社の桜はまだ見たことはないけれども、一昨年の2016年平成28年5月13日、新緑もまだきれいな五月の昼下がりに、たまたまこの神社を訪れた折、拝殿前に植えられた橘の実とその清楚な白い花が印象深くてデジカメに記録していました。平野神社が早く台風の被害から復興されて、その拝殿とともに桜や橘の元の姿をふたたび人々の前に現される日の来ることを願って、残っていた写真の一部を追加して上げました。

 

 

 

台風21号のために崩壊した拝殿

 

 

 

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