巨大古墳の役割とは? 沖積平野の巨大な環境改善装置 第3回

水脈環境の要を守る、古墳群

奈良盆地と河内平野の主要な古墳群。 カシミール3D画像転載

上の図は奈良盆地と河内平野の主要な古墳群の位置を示しています。大和高原から盆地に至る大和川出合(であい、2つの川や沢、谷が合流する地点のこと)付近に大和古墳群が、先に紹介した古市古墳群が生駒山系のふもとで川の合流地点にあります。仁徳天皇陵のある百舌鳥古墳群は、同じく大和川下流部にあり、ここはかつて海と接していた海岸段丘上部で、やはり水脈上の要の地になります。

他にも奈良盆地には、佐紀古墳群や馬耳古墳群などがありますが、いずれも地形のキワの平地部分、水脈の要に存在します。

平坦地は水田用地としてどこも開墾の対象地でありながら、並行してそこに巨大墳墓をいくつもつくり上げたのは、古墳そのものが水利・治水に大きなメリットがあったからにほかならないのでしょう。

山地のキワからすこし離れた平野に点々と掘った溜池が、停滞しがちな平野における水を押し出す土中水脈のポンプのような働きをします。水脈の拠点が点在することで、平野の土壌環境が育ち、生産性豊かな土地が持続しやすくなるのです。
地形的に水脈の集中する要の土地に、溜池と同時にその脇に森を作ることで、平野全体を豊かに潤し、浄化し、安定させる。古墳は巨大な環境改善装置として働き、この土地のいのちの環境を未来永劫に育み続けるのです。

古墳の周壕池から水路が掘られ、清らかな水が無限に湧き出し続けて田畑を潤す、そんな美しい調和の風景、その拠点がこの、前方後円墳だったことでしょう。

こうした、過去の土木造作から、私たちは学びなおす時期に来ているのではないでしょうか。未来永劫に環境を育み、自然の循環に帰していった、かつての奥深いインフラに対して、現代のインフラはますます、破壊につながる要因ばかりで、未来の環境を奪うものでしかありません。
自然からかけ離れ、断片的な人間都合の目的で自然環境を壊して何かを得ようとし、大地の仕組みも、いのちの循環も考えない。その結果、環境を破壊し続けて安全も豊かさも快適さも美しさも奪い去ってしまう。そんな現代のインフラとはまるで違う、かつての叡智に目を向け、そして私たちも再び、かつての素晴らしい智慧を取り戻さねばならないことでしょう。

伝統的な土葬墳墓。内部の石棺と空気と水の循環のイメージ図。©︎高田造園設計事務所

そして、古墳時代は土葬の時代です。人の亡骸を石棺に入れて納めることで、その人が持っている物質・情報・エネルギーが、その分解消失過程で大地の力へと移っていきます。
 
 ここは私見でありますが、いのちが宇宙のエネルギーのあらわれであるとすると、人間の持つエネルギーは他の動物たちに比べても、ひと際強く大きいものだと考えてもよいのではないかと思うのです。それだけ、自然界の一員としての人に与えられた役割が大きく、大きなエネルギーを受けているがゆえに、良くも悪くも環境へのインパクトは、とても大きなものになるように思います。それがよい形で大地に帰ることで、その土地は大きな息吹きを得て、たくさんのいのちを養いうる環境として、より豊かに育つ原動力となることでしょう。

平地に森を出現させて、豊かな水を育み、それがそのまま地域の生産性の向上につながるのですから、当時、人々は溢れんばかりの希望と喜びをもって、古墳造営や水路、溜池などの土木事業に協力していったのではないかと想像します。
そして、そこが大王陵となることで神域となり、人々は自分たちの暮らしを見守る、古墳の見えない力を感じて暮らしてきたことでしょう。
そして、陵墓の存在が土地を豊かにしていることを直感した人たちによって、大和王権の権威はますます高められ、尊崇を集め、それが今も続く皇室への畏敬と敬愛に繋がっているようにも思えます。言い過ぎかもしれませんが、そんな思いに駆られます。

奈良県天理市にある景行天皇陵の禁伐の立て札。

これらの御陵は今、宮内庁によって森の環境そのままに守られておりますが、こうした管轄による管理がなされる以前から、ここは御陵として不可侵の森として地域の人に守り繋がれてきたのでしょう。
そうでなければ、あの巨大な直線状の人工地形が1000年以上も保たれるはずはありません。

景行天皇陵。

古墳に限らず、当時埋葬された人の魂は、周辺の木に宿ると考えられていました。その拠り所となる木々を伐採することは、お墓を暴くことと同等の重大な罪とされていたことが古文書の記録から明らかに示されています(岩田書院『死者の行方』佐藤弘夫)
実際にいまも、伝統的な集落の土葬地、風葬地、古くからの霊場(納骨の場所)を訪ねると、語り掛けるように圧倒的な木々の息吹を感じますが、それを人は霊気と言うのかもしれません。
それが先祖への畏敬を高め、自然の循環に心を寄せる、そんな確かな自然観を醸成していったと考えます。
古代の神秘、前方後円墳。それは千数百年の時を経て現代に続く、人工の鎮守の杜と言えるかもしれません。

大変な労力を費やして古墳を作り続けた先人の想い、それが現代社会に語りかけるものは、果てしなく大きく、その断片を少しでもお伝え出来たらうれしいです。