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【報告】UTCPワークショップ「クレオール化された漢文の創造と境界−日本統治下台湾の『植民地漢文』」

2010.06.15 └レポート, 齋藤希史, 守田貴弘, 呉世宗, 近代東アジアのエクリチュールと思考

2010年6月11日(金),台湾中央研究院の陳培豊先生を迎え,中期教育プログラム「近代東アジアのエクリチュールと思考」第一回ワークショップが開催された.

ワークショップは,陳先生による「クレオール化された漢文の創造と境界―日本統治下台湾の『植民地漢文』」という演題での基調報告に続き,斉藤希史先生からのコメントと応答,そして参加者全員による活発な議論が交わされた.

陳培豊先生は『同化の同床異夢』(三元社,二〇〇一年)で,植民地台湾において行われた「国語」(=日本語)教育政策・制度の問題を,文明化/民族化,平等化/差別化といった多重性を帯びた「同化」という概念に着目して整理し,それが植民地台湾において台湾人の思考に及ぼした影響を論じられた.その意味で『同化の同床異夢』は,植民地台湾を主要な対象としつつも,すぐれて日本語論的・日本思想史的な側面も持つ著作であった.

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今回のワークショップでの陳先生の報告は,出版準備中の著書に基づいたものであり,より言語(「漢文」)に焦点を当てた内容であった.陳先生は,植民地台湾と日本はどちらも漢字圏内にあることもあって,コミュニケーションが漢文による筆談で行われたり,台湾において日清戦争後に日本からの影響で漢詩がブームになったといったことをまず指摘された.その後,台湾における漢文は,コミュニケーションとしての道具(「方便としての漢文」)という側面を強めつつ,日本における漢文とも,中国における白話文とも異なる,台湾独自の漢文となっていったと論じられた.そのような独自な漢文の生成を,陳先生は「クレオール化された漢文」あるいは「植民地漢文」といった言葉で規定された.ただしその際の「クレオール」とは,言語と言語の異種交配というものではなく,表意文字による文の「近親増殖」現象のことを指しており,そこに台湾における「クレオール化」の独自性もあるのだと言われた.
 これまでの台湾の漢文研究において「漢文」とは,「日本語」と対置される分析概念であった.しかし,それでは「植民地漢文」ないし「クレオール化された漢文」を論じることができなくなってしまうため,「漢文」それ自体を分析対象にする必要があると論じられた.

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以上の陳先生からの報告を受けて齋藤先生から,「植民地漢文」に作用した日本語とはどのような日本語であったのか(古典か訓読体か,また両者の関係はどのようなものであったのか),「植民地漢文」とは被植民者の漢文のことを指すのか,「植民地」という言葉を持ってくることの意味は何か,といったことがコメントとともに質問された.

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全員による議論は,主に①「植民地漢文」という概念が,台湾だけでなく近代東アジアにおけるエクリチュールの形成という観点から見ても重要な視座を提供するものであり,それが朝鮮半島においてはどのようであったのか,②「方便としての近代文体」が「我々の近代文体」の確立においていかなる意味を持つものであるのか,という二点を論点に行われた.とりわけ「クレオール」という概念に関して,言語学的な基礎的説明から始まり,文化論的な関係概念としての側面の指摘,あるいはマルチカルチュラリズムとの対比等,多くの質問・意見等が出され,議論は熱を帯びた.最終的には言語の変化の局面を言語化することの難しさ,しかしクレオールを積極的に拡張することで,その困難が乗り越えられるのではないかといったことが,さしあたりの結論となったように思われる.

 ワークショップの後の懇親会でも議論は終わることなく続き,陳培豊先生から演歌の観点からの東アジア史構想や,研究者とメディアの関係といった多様な事柄が話され,有意義な時間となった.

(文責 呉世宗,守田貴弘)

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