松尾スズキの「老人賭博」を読んだ! | とんとん・にっき

松尾スズキの「老人賭博」を読んだ!

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松尾スズキの「老人賭博」を読みました。 第142回芥川賞の候補作に、「文学界」8月号に掲載された松尾スズキの「老人賭博」が入っていました。調べてみたら単行本(2010年1月10日第1刷発行)でも出ていたので、さっそく買って一気に読みました。松尾スズキといえば、2006年1月に「クワイエットルームにようこそ」が、第134回芥川賞の候補になったことがありました。今から4年前のことです。「クワイエットルームにようこそ」は、2007年に松尾自身の監督・脚本で映画化され、話題になりました。残念ながら僕は、小説も読んでないし、映画も見逃していました。2008年には「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」の脚本で、第31回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞しています。


松尾スズキ(本名:松尾勝幸)は、1962年、福岡県北九州市八幡西区生まれ、九州産業大学芸術学部デザイン学科を卒業。1988年に劇団「大人計画」を旗揚げします。作家、俳優、演出家、脚本家、映画監督、等々、マルチな才能を発揮しています。「老人賭博」は、アマゾンの案内によれば、「映画撮影の舞台となった北九州の町が、史上最高に心ない賭博のワンダーランドと化す。爆笑がやがて感動に変わるハイパーノベル」、そして「北九州のシャッター商店街に映画の撮影隊がやってきた。俳優たちの退屈しのぎの思いつきから、街は最高に心ない賭けのワンダーランドに。人の心の黒さと気高さを描きつくす、奇才4年ぶりの小説。」とあります。


主人公は24歳のマッサージ師・金子堅三。細胞が変形して皮膚の裏側に浮腫ができるという奇病で手術をし成功はしたが、顔の表面がボコボコになったので美容整形をしたところ、長年「わけもなく陰気な顔」だったのが病気のおかげで「わけもなくつぶらな瞳の青年」になってしまった青年です。治療費や入院費がかさんで消費者金融に200万円近くの借金ができ、それを返すために、戸越銀座の整骨院の他に、六本木のマッサージ店で夜のバイトをすることに、昼と夜合わせて1日12時間、カーテンで仕切られた密室で、誰かまわず身体に鍼を打ち、揉み、さながらマッサージマシンです。せっかくのつぶらな瞳も誰にも気づかれることなく、友だちやガールフレンドができる暇もありません。


唯一の趣味はコメディ映画、街のビデオ店でレンタルして帰る途中、不良に絡まれたが、顎を狙ったハイキックが偶然にも脇の下に入ったので、足を脇に挟んだまま殴りつけ、突き倒し、勝利の興奮で走って逃げました。落ち着いてから考えたら、自分が知らぬ間に喧嘩に強くなっていたのです。風呂場で鏡を見ると、上半身の筋肉の付き方が尋常ではない、完全なマッチョ体型になっています。時が経ち、借金もほとんど返し終わる頃には、1日12時間の労働で鍼とマッサージの腕は格段に進歩し、指名も増えました。しかし、急激に仕事に醒め、倦んで空虚になります。自分の居場所は、夜の喧嘩と、コメディ映画になります。


いつしか映画の現場に関わりたいと夢を描くようになります。26歳、まだ方向転換が間に合わない歳ではありません。その頃六本木の店に、B級コメディやホラー映画の脚本家で、俳優もやっている海馬五郎が現れます。白髪交じりの長髪をオールバックで固め、黒縁眼鏡の長い顔はよく見知っていました。彼の唯一の監督作品である「ゾンビは歌う」の大ファンだったと、施術をしながらボクは正直に打ち明けます。彼は20歳も年下のボクのことを「先生」と呼びます。


その彼が「弟子でもとろうかなあ」と独り言を言うと、すかさず「あ、じゃ、ボク、なりますよ、弟子に」と言ってしまいます。「弟子の方が先生ってまずくないですか?」というと、「だから、俺のこともセンセイと呼んでもらう。ただしカタカナのセンセイだ」。センセイは「とりあえず、1週間後に、九州でちょっとややこしい仕事があるから、それに鞄持ちでついてきてもらおうか」と言います。後日、新宿花園神社近くのセンセイの行きつけの店に行くと、「北九州の白崎って町に行くよ。昔は栄えてたらしいが、今はいわゆるシャッター商店街で、半ばゴーストタウン化しているらしい。だから逆にロケがやりやすいんだと」と言う。


センセイはカバンの中から赤い表紙の脚本をボクに渡します。「黄昏の街でいつか」というタイトルです。センセイは偽名で脚本を書いていて、俳優としても出ているようです。「だから現場へ行ってもプロデューサー以外は、誰も俺が脚本家だとは思わない」と、センセイは嗤います。主役は小関泰司、名脇役と言われている78歳の老俳優です。物語は、この禿ジジイが、18歳のネットカフェ難民の女の子とシャッター商店街を復活させるって話だと、センセイは言います。相手役の女優は、グラビアアイドル出身の新人で、映画は初めてだから、演技力も見当がつかない、などと言います。


「想像以上の黄昏っぷりだなあ。でも、だめになり方にロマンがあるといえばある」と、センセイは町を見渡して笑います。小関泰司が現れると、喋るだけで現場の空気が変わります。50年余り俳優の商売道具として場数を踏んだ声はなにかしら力があります。その小関にぴったりと張り付いている中年の大男、辛気くさい目で顔色も悪い。痩せて猫背でちっぽけな小関を連れているのを見ると、旅興行に疲れた猿回しと猿のようです。突然の雨で撮影中止と成り、ホテルの宴会場で懇親会が開かれます。センセイを含めて皆、知名度の微妙な脇役ばかり。「はい、1000円1000円」、次に誰が入ってくるかを賭けていました。センセイは本気で悔しがっています。


ホテルの自動販売機でタバコを買おうとすると、タスポがないと変えないことを僕は初めて知ります。しかたなくホテルを出て酒屋兼タバコ屋の店先でマルボロを買っていると、上下ジャージにキャップス型の女と目が合います。海はまだ未成年で、アイドルなのです。間近で見る海の濡れたような瞳の美しさに、ボクは動揺します。フィリップモリス2カートン分を両手に持っているのが見えます。「イメージが悪いんで、内緒にしてもらえないですかねえ」とボクに言う海。


「それだ」とセンセイが指を鳴らします。「スパイスガールズだよ。それ、本番一発で小関のじいさんがとちらずに歌いきれるかどうか」。小関はなんと完璧に、一言もつっかえないで歌い終わります。海ちゃんが空き時間にずっと練習につきあって、教えてあげていました。それにしてもどこまでギャンブル好きな人たちなんだろう、なんでも賭けの対象にしてしまいます。「わかるかい先生? 伊沢が勝ったのは、俺たちより新しいインサイダー情報を持っていたからだろ。・・・ギャンブルってのは、情報戦だ。大事なのは気づくこと。そのためにはより新しい情報をより多く持ってなきゃいかん」とセンセイは言います。そして「仲良くなりなよ、いしかわと」、センセイはまだ小関のNG賭博をやる気のようです。


三股という俳優が調子に乗ってバック転をして脚を腫らし、そのためにセンセイは脚本をリライトすることになります。一文無しに成り、ネットカフェを追い出された家出少女に、ラーメン屋のオヤジが人生を説き、町おこしのまつりの青年たちを見ながら、次第に前向きな気持ちを取り戻した少女と2人して再生を誓うという、小関と海の大きな見せ場です。「明日のシーンは賭け応えあるぜ。なにしろじいさんの長ゼリフまつりだから」と、センセイは言います。「一口10万にしませんか? 最後だし」と伊沢はさらっとそう言います。


「改稿前」に比べると「改訂稿」はkまかいとラップがいっぱい仕掛けられています。倒置法が多く、語尾が変化し、意味こそ同じだが小さな変更が至るところにあり、ガラッとかわるより変にややこしい。「女房が行きたがっていたマチュピチュ遺跡にも連れて行けず、死なれてしもうた。あげんマチュピチュマチュピチュと言うとったんにねぇ」とか、「信長殿も信長殿じゃが、ねね殿もねね殿じゃ」とか、早口言葉のような箇所も差し挟まれています。果たして小関老人はセンセイの脚本に仕掛けられたトラップを乗り越えられるのか?


「センセイはなんでそんなにギャンブルが好きなんですか?」とボクが聞くと、「もしこの世に神様というのがいるとしたら、すべての出来事は神の決定によるものだよな。・・・つまり神の行為を矮小化することで、神の視線の外側に出る。それがおもしろいんだが、なにせ、神はでかいからね。それを相手の遊びだから身も心もクタクタにある」と答えます。「じゃあ、なんで自分の仕事を増やしてまでそれをやってるんですか?」と聞くと、「訳者の仕事ってのは異常な行為なんだよ。俺は哀しいほど正常な人間だから、神を相手にゲームをしているような異常な身体を作っとかないと、人前で演じるという異常性に耐えられないんだ」と白けた口調でセンセイは言います。


映画のロケ隊の細かい部分は、松尾スズキの独壇場です。二流、三流の映画人の生態を余すところなく描いています。一人一人が真剣に生きていることに共感を禁じ得ません。老俳優・小関と付け人のヤマザキの関係も泣かせます。もちろん、脚本の書き直しの部分を中心に据えるのは見事なもので、松尾の自信の表れです。「老人賭博」はそのまま映画化できます。今回も芥川賞の候補作を数編、続けて読みましたが、松尾スズキの「老人賭博」は一番読ませるし、安心して読めます。盛り上げるところは盛り上げる上手さが光っていました。結局のところ、良くも悪くも「手練れ」た作品という印象です。 が、しかし、扱っているテーマが賭博ということや、芥川賞がある種の新人賞ということを考えると、やや難しいかも?


とんとん・にっき-bungakukai8 「老人賭博」初出
「文学界」2009年8月号












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