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波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト
無数の除去事例や超常的現象、量子の共鳴効果による意識・社会・環境の改善
万物における波動情報の原理・作用・効果・影響・意味合いと形成・発展・永続化

量子(電子・陽子・中性子・光子・ニュートリノ)=波動(気)・ゼロ点(Zero Point Field)・電磁波・プラズマ・幾何学的形態・物質(珪素・量子水・酵素)・微生物・コイル・波動器具・波動農法や意識・言葉・パワースポットなど、波動原理の各種効果(超科学・超能力・元素変換・健康・意識覚醒・自然環境の浄化・森羅万象の好転)

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項目6⑬:波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い
森羅万象の形成・発展・永続化、意識・社会・環境の浄化・改善

波動原理を阻む社会的要因
  波動医療は人智学創設者ルドルフ・シュタイナーの影響もありドイツで普及し、ホメオパシーは多数の国で広く浸透しています。ロシアは旧ソ連以来の「現代科学と異なる領域の科学・境界科学の研究蓄積」があり、科学界の志向自体が既成概念の枠内に囚われていなく、波動関連も含めて既に実用可能な物も多数存在します。米国は極秘研究の知見を高度に蓄積しています。

翻って日本では、東洋医学と波動の高い親和性という元来の良質な土壌と、静電三法や軍関連組織の研究(米国が強奪)など戦前で既に進んでいたのにも拘らず、現状はこのレベルで、一般病院に波動器具を用いた療法はほぼ存在しません。これは保険等の技術論より「権威・枠組側による排除」「そのまま下達されるのみ」など社会バランスや根本部分の問題で、潜在的可能性・資質を国・一部社会の在り方が封殺、日本を長年に亘り劣化させてきた一例です。

よく言われる個人・中小企業の資質は、「個人・小集団レベルの波動関係の勉強研究・解明進化・普及度」に通じています。「日本独自とも言える手法・方法論・概念・製品・研究」「高い波動効果を齎す国産手法・製品(公的組織以外が開発した物)」は過去~現在にわたり多数存在、元々は「波動原理に適した素地」があり、「楢崎皐月・政木和三・千島喜久男」など優れた研究者も多くいました。

然しながら日本では集団化した時に「ムラの圧力亢進」「異質・多様性への排除・寛容度低下」「ガラスの天井」「過剰同質性の横行」が顕在化し、「社会の上層部・主流・公的組織」においては、長年日本は諸先進国に比べて「波動的な物・研究・成果が、最も排除されてきた国」で在り続けました。この要因は「明治以来の国・社会上層部の全体・統制・閉鎖主義志向、個・自由思考・可能性の抑制・埋没化」「戦後、自主変革を逸し続けた事による社会構造・個人・思考の経年硬直化、上層部の属性固定化(男性・東大等)、寄らば大樹・親方日の丸・談合体質」「海外・関係国・近隣国からのバランスを欠いた理不尽な対応や、不公平な国際的構造や二国間の関係性への、日本側の縮小・受動・無自己・短視眼・誤魔化し対応」、以上への心理防御の「大衆の諦観の蔓延」「感覚・思考・視野・関心範囲の矮小化」「過度な集団思考・過剰同調・迎合・家畜人間化・奴隷化・事勿れ主義」「個の連帯による改善運動の不足・忌避・揶揄・無関心」など複合的でしょう。この構造はまた、「巨視・複眼・能動・建設・柔軟・水平思考に欠け、周囲・世間・お上・与件・圧力・因習・空気に従うように訓練された画一的ロボットの量産」「非公僕の公務員・非選良の政治家・ジャーナリズムの無いマスコミ・現象自体の無視を貫く科学界・非公器な経済界の跋扈」を促すか如くに働いています。

あらゆる事柄は相互関連して全体構造を醸成し、「事故後の現代科学体系外の手法の全否定・無視」も「国・社会の在り様」の中で起きています。「過度な常識論・横並びと自縄自縛な視野狭窄の経年化」は、この事態においてさえ「前例主義や形式論などの硬直思考」を齎し、蟻地獄のように人々の思考・行動・選択を縛っています。「異端排除の圧力(大学・公的機関での異端科学の研究費配分は海外と比べ非常に低く、排除される)」と、「除染・実験実施には検査機関・ガイガーの計測数値低減では足りず、一般・科学界の理論認知が必要」との「上層部・象牙の塔・同調者の掟」は、「除染や真理や社会改善との目的論」より「ドグマ固執・権威や権力構造への同化・斉一性依存」を優先させています。「日本・日本人を最終的に守るべく存在する政官」は、超長期被害確定という一般認識状況にあって、あらゆる除染可能性を探り続ける義務を履行せず、多くの提案は不可解にも却下され続けています。政官公について、ほんの一部の政治家・公務員・公的組織関係者や(福島県などの)一部現場組織だけがたまに耳を傾けるのみで、それも大きな動きにならず、組織論や絶対的空気の中で排斥され、大状況はいつもの政治屋・官僚主義的行動が続くのみです。「国・公・社会上層部・科学界レベル」で見れば、実験など費用が殆ど掛からない額と言え、初期要員や手間も僅かで済み、たったそれだけで事の真偽は概ね分かるのにも拘らず、しかし行おうとせず、考慮しようとしません。これは「官僚体質の行き着いた果ての姿の終末的な集団浅慮」であり、原子力ムラの「事故は起きないから対策無用」「赤信号、皆で渡れば怖くない」と全く同じ空気です。そして「事故前(=客観的な時点)では超悲惨と認識した状況」にも拘らず「正当化・無視する圧力」が覆っています。

つまり「"従来より遥かに良い方法・新事実"の存在可能性という客観状況(論理的反駁が不能)においても、超過酷事態を修復し得る物でも、それを検証・解明する機能が、この国・社会には無い」「大勢の国民と数多の公的部署・組織と巨額の公金がありながら、必要な物・感覚が無い」「既存観念・手法の踏襲のみで、過去と全く異なる状況に対応できない」「代替論・多面性・改善論への側面支援機能や、全体的な修復機能や柔軟性が無く、"たったそれだけの事"さえ"しない・出来ない・拒否する"ほどに、あらゆる分野を硬直性・類型思考が支配している」「公・体制の存在意味が不明な無責任体制」「本来の責任・義務・本分を全うする主体が存在しない」という構造です。

そして現地では「有志による時間・頭脳・労力・費用を割きながらの懸命な除染研究」が続いています。そこで得られた知見も含め「除染事例や成功・確立した手法の報」は次々と積み重なっていて、その全ては「従来科学と異なる普遍的科学原理」を指し示しますが、しかし「これに対応する社会構造自体」が存在しません。その構造さえあれば、如何に否定論者が多くても「実験・検証→事実と確認→各地での実施と広範な議論の場の形成」というサイクルが起きるので「とうに広域除染や様々な知識・原理・技術の普及が進んでいた」でしょう。

このような状況において理想は等閑にされ、「金や声が大きな集団や負の側面」に未だ支配され、「一般社会・会社・学校・マスコミ・ネット・未成年その他、集団・分野・属性」が「社会的に規定された固定観念・役割モデル・典型的思考様式」に囚われ、個々の属性が狭く分断され、「個人と社会の関係性が切れているのに、同時に全体主義的であり、個人がマニュアル通りの駒や歯車のように存在」しています。近年の日本が世界的に見れば繁栄していたのも、決して「公・体制など上部構造」の為でなく、「個人レベルの特質と(自縄自縛も含め抑圧下ですが)、環境や歴史で織り成された日本に宿る"地霊"とでも言える物」の為でしょう。しかし「この2つの能力・効果が年々低下」して、逆に「公・体制は悪化」したので現況にまで至りました。日本では「上層部の全体主義・個の抑制・大衆の無関心化」により、「社会構造の改善・全体主義からの離脱」が今まで果たされなく、却って「改善せぬままの経年→空気の常識化→無謬・従うべき物」という流れによる「社会構造の硬直化」が進みました。「手法は多数あり、後は簡易な実験・検証だけなのに、検証・考証は科学・真理の基礎なのに、徹底的に否定・拒否するという観念」を見てもそうですが、人々の意識自体が変わらなければ、集合意識も波動効果も何もかも変わりようがありません。

  元々「健康と長寿」「最大多数の幸福と安寧」「そして出来るならば自然環境維持や調和」などが社会の初期の目的や共通認識な筈ですが、何故か途中から大きく逸脱して、訳の分からない物を自己目的化して突き進んでいるのが日本と世界の現状です。過去を見れば一目瞭然ですが、独善的な我田引水は、許容すると全体状況が悪化し、個人や全体の利益を大きく損なう社会が返ってくるだけで、固執の目的の一つの「子供・孫への利益委譲」は「金銭面でも、そんな社会に生きる子孫の不幸という、そもそも論においても」意味が無くなり、波動的にも因果応報としてカルマを積み上がり続け、結局何の益も齎さない世の中になり、害悪と共に破綻していくのみです。今の社会は「色々な物を壊し穢して、将来につけを送っている、際限無き椅子取りゲーム」のような物ですが、このゲーム脱落への恐怖が「自己が存在できる現状や優位性を保てる状況・ルールの墨守」へと走らせ、多数がこれを行う「負の方向性の空気化」が社会を歪ませています。そして逆の「善性や建設的意識」は疲弊して、多くが「何かが物凄くおかしい」と感じつつもどうすれば良いか分からなく、「過度な競争論と蹴落とし」「心を無視する方が生き易い」という攻撃的な世情で精神的に磨り減っています。でも幾ら生きるのが大変な事だらけだとは言え、「子供達・赤ちゃん・未来世代の為に良い世の中を築く意思・行動」が欠落しているならば、「地球・社会に対する大人達の存在意義は無い」「自己の存在・生存目的があるのみ」でしょう。人類や社会という「大きい存在」は何の為に存在しているのか、利益や利己ばかり求めるのが良いのか、社会自体に何らかの使命は無いのか、ある意味もっと楽で適当で、それでいて調和的であり、概ね幸せで豊かだという世の中は、それこそ簡単に作れる筈でしょう。

「家庭・地域・幼稚園・保育園・小学校・学童保育」において、幼い子供には「思いやりを持った子になってほしい」と思い、「調和的な環境で、皆に暖かく接して」いきます。「手のひらを太陽に」の歌詞には「ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ、友達なんだ」とあります。何故そういう風に接するのか、こういう歌を子供に教えるのか?それは「そういう感受性を持った子になってほしい」「思いやりを持ってほしい」と考えているからでしょうし、そして「本来はそういう社会であってほしい」「こういう観念を普通に持っているのが理想的な社会」だと深層心理では思っているからではないでしょうか。そうでないならば、子供にだろうと何だろうと、そのような事を教えないでしょう。「そう接するのが、教えるのが当たり前だから」という要領不明な理由でなく、「そんな世の中で、子供達には暮らしてほしいね」と感じているから、そう行っているのです。

要するに今の世の中は「そういうのが理想だろうけど、現実の世の中は違うし」「そんな事考えてたら馬鹿にされる・置いてけぼりを食う」「まぁ単なる夢だろ」「自分とは関係ない・どうでもいい」という感情が先に立ち、理念を忘れ去ってしまっているのではないでしょうか。過去において「大人になる」とは「柔軟性・感受性を捨てて、世間の常識や理不尽さに従う」ことでした。そうでしたが、では「それが未来永劫続く」「それが理想」と考えているのでしょうか。そうでないなら、別に「未来永劫続く訳でもない」「不変普遍の心理でもない」「理想でもない」ならば、今すぐに変えていけばいいだけの話です。そうすれば明日は変わらなくても、10年後には社会は大きく変わっているでしょう。しかし「硬直性・隷属思考・物質的思考・上下関係・有象無象」に囚われている現在の世の中では、「どうせ変わらない・無理・自分には関係ない・どうでもいい」「それより趣味のOO」「学校・会社で話題の××」「組織内で認められるらめの○×」「友達・同僚と話をあわせるために芸能界・ファッション・遊びの×○」という想念が先に立ってしまい、その中で、また毎日の社会が虚無的に繰り返されています。

また脳による「他者への共感⇔分析的思考」「右脳・感覚⇔左脳・論理」の両立は困難とされます。ただ高度に両立できる人もいて、また「(上記○○××など)空虚な対人・対社会・対物の関係性に依拠、その為の分析思考を終始働かす」など、現代社会は「過度で偏った分析・論理思考の重視」を強いています。そしてこれにより「共感能力・共感志向の低下」「不必要な序列・競争重視」「環境・対社会・対人への破壊・非建設的な方向性」へと導かれています。

そういう空気により「精神や気を病む・荒む・疲弊」「虚無感・投げやり」「健康や生活環境を害する」ことが多くなり、また「即物的感覚や金・モノ優先主義に塗れる」「権威・権力・力を振りかざす」「利己主義・自分本位になる」「何らかの他者基準に従属する」・・・など、社会全体の荒廃が止まらずに、「この酷い悪影響が、様様な場所で、様々な症状として顕在化」しています。このような意味において、「現代社会の個人レベル・社会各所の問題は、現代社会の抱える(先述後述の)問題点により生じている」「このような状況・方向・空気・力学がなくならない限り、その悪影響はなくならない」と言えます。そして「大衆意識を支配する空気・人々の行動原理」がこういう物である限り、「口でどう言おうと、どうお題目を唱えても、どう法律・規則・暗黙のルールで縛ろうと、どうやって繕おうと・根絶しようとしても、"(例えば)違法にならない程度の、低意識・荒廃的な行動"が蔓延するのは当然であり、悪貨が良貨を駆逐し続けるだけ」です。それは「世の中がそういう価値基準なのだから当然の帰結であって、至極当たり前過ぎる事」です。

少子化の原因のアンケートでは、経済的理由以外に、「生き難い」「社会に将来性・展望姓がない」「将来幸せになると思えない」などが上位に来ますが、「現状の社会状況では当然」「この方向が続くなら、多数がそう感じるという状況は変わりようもな」のであり、それは「本質的に生き難い世の中」「厭世を感じさせる社会状況」ということです。日本の自殺率は先進国最高水準ですが、これは途方もない不幸であると同時に、膨大な経済的損失であるのも社会・経済的常識で、この数字の影には「ごく日常的で、甚大な不幸・不利益」が積み重なっています。経済・権威重視の人でも、これら理由で疲弊しきった人や、子供を作らない人は多く、要するに「自分が向いている方向を、多くの人が向く事で、結果として生き難いと感じる」のであり、では何の為の経済のでしょうか。全く以って、あまりに不合理です。

これらの社会状況・方向を俯瞰すると、「"金・モノ・権威などの重視"と、それ進める為の、或いは副作用としての"個の抑制・空気への従属の高い同調圧力"などの社会的方向が、結果的に重度の経済悪化や社会閉塞を招いている」という異常な状況を呈しています。それでもなお「「金・モノ・権威」「個の抑制・同調圧力」を望むのか、「それにより、その目的たる経済的利益・国際的地位云々を低下させている」という状況を招いていてもでしょうか。そしてそもそも経済云々以前に、それは「個人の内面・社会・自然環境など全てを破壊」「不幸・生き難い世の中の再生産」をするのみであり、「幸せな世の中への方向」「全体の幸福の実現」へ向くことは決してありません。

  普通に考えて「理想的な社会="金・物質・権威・争いなどが優位でない社会(金・物質は手段であっても、目的ではない)」はずで、拠って「現代社会は理想的ではない」「その空気・方向性は理想的方向性を有してない」という認識が妥当でしょう。また「理想社会=持続不可能な社会構造」の訳はなく、拠って「理想社会・理想的方向性=自然環境や対人・対社会や将来世代・後代への負荷において、持続可能な社会構造である」のは至極当然です。そのような社会では、例えば「ゴミの環境投棄がない」「環境破壊がない」「人々が自然に相互尊重・共存している」「人々の自然な・自主的行動の結果、そういう状態になっている」でしょうし、そうなるには「人々の認識・行動の基盤としての、調和的な社会認識論・環境認識論が不可欠」です。「人々の認識→人々の行動→社会に起こる結果」という「自明の流れ」により、このような「調和的認識論」=「理想社会・理想的方向性・社会改善・人々の幸福・良好な生存環境」という表裏一体性も明白です。また上記「自明の流れ」により、そもそもとして「社会広範の調和的認識論なしに、理想・幸せな社会になる事は到底不可能」です。

社会は段階的発展を遂げてきて、現代はこの段階という事自体はおかしくないですが、問題は「科学・社会の発展により現代社会が齎されたのであり、"そもそも科学・社会の発展とは、この方向の物なのだ"」「この方向を進んでいけば・突き詰めると、豊かさ=望んでいる社会がある」「多少不利益があっても仕方ない、不利益は幾らかだけ、どうでもいい事(精神・自然など)が犠牲になるだけ」という暗黙の観念・力学が、社会広範に覆っていることです。これらは「現代の基本的力学・空気・固定観念・常識」となっていて、先述の理由により「この方向性は、理想的方向に反する事は明らか」ですが、然しながら「金・物質・権威・競争論・・・を志向する主体にとり都合が良い事」「空気・力学・固定観念・同調圧力・隷属志向・ぬるま湯的思考・・・」により「この根源的・甚大な誤りについて、多くの人が気付かない・重視しないまま」という状態が続いています。そして「この思考においては、当然の如く、精神・自然環境・伝統等々は蚊帳の外」ですが、これらは「金・物質・権威・競争論にとり都合が良い」「固定観念の上での常識」なだけで、「このような破壊性・非調和性・物質優先主義・欲望重視は、どの側面から見ても、理想社会・理想的方向性と整合しない」のは明らかでしょう。

これらの「常識論・固定観念による思考」は「現代社会の構造的問題を内包した、枠(社会的枠組み・思考的な枠)の絶対視」→「"その社会的・構造的問題点を当然視"という思考範囲を抜け出さない・枠内に終始」、「個の抑制・過剰な同調圧力など」→「自律的思考力の低下」→「問題点に気付かない・疑問を持たない・空気や常識論への隷属志向を続ける」→「その外側の妥当性や可能性・在るかも知れない真理を見ようとしない」という悪循環を起こし続け、「知らず知らずに現状悪化・問題点残存の歯車と化す」という状況が続いています。そして現代社会は「これら矮小化した思考が積み重なる合成の誤謬・集団的迷走」により、方向性が大きく捻じ曲がり、余りに甚大な悪影響を日々齎し続け、余りに多くの事を破壊し続けています。

また「仮に再び経済発展が起きた(可能性は少ないが)」としても、それは「大規模な環境破壊、すべきでない公共事業や民間の乱開発、神域・重要遺跡の破壊」「大規模な格差」「それが招く様々な固執、金銭・物質第一主義、功利主義、権威主義・権力志向、人心荒廃、不安感、犯罪の社会的要因」「ギスギスした雰囲気」「冷たい空気と冷酷な社会関係の増加」「本質的には無意味な仕事や労働・過剰労働」「余裕の無さ」「災厄発生要因」「健康状態や寿命への悪影響・医療費高騰」「社会・国土に蔓延した状態に伴って起きる物」であり、「汚職・利権強化」「ムラ社会や支配構造の固定化」「不誠実な在り方・やった物勝ち」「従属志向・合成の誤謬・自家中毒」「内面の空洞化・空虚化」「無関心化・好奇心低下・関心範囲の狭窄化(社会・自然など、外部への関心度低下)」「低質な物の蔓延」など「従来社会の問題点が修正されないまま」でしょう。「経済上、不要な原子力(と暴力性・破壊性)も温存されたまま」とも考えられ、「環境破壊・構造的問題の後代への悪影響は拡大し続ける」ので、「修復不可能な永久的壊滅、大規模な破壊性、非調和・非共存という、根源的・核心的な問題性は残存し続けるまま」です。このように「経済優先志向・物質主義という、現代社会の方向性における、最も良い未来予想図」でさえも、それは「公共事業の需要予測よりも、遥かに到達可能性が低い物でしかない」にも拘らず、「この程度の"本質的観点の上では酷い社会状況"しか描けない」のであり、そもそもがこの「現代社会と、その延長線上の方向性」という物自体が「理想社会・理想的方向」「大多数が充足感を感じる社会」とは二律背反した物でしかありません。これは「本来人類が到達可能な領域に比べれば、足元レベルとしか言えない物」であり、「現行の方向性⇔理想・幸福、という2つの社会状況の両立は絶対に不可能」です。

この思考を延々と続けるならば仮に「現代社会は、段階的発展における当該発展段階(だから仕方ない)」と捉えるとしても、当然ながら「将来も現代社会レベルの方向性のまま」で在り続ける訳で、「いつまで経っても、現代社会の構造的問題を内包した、枠(社会的枠組み・思考的な枠)の奴隷で居続けるまま」「そこには発展性・建設性・改善・理想は何ら存在しない」「子供・将来世代に、破壊された環境・国土・世相を残すのみ」であり、更に「この方向性は非調和的・破壊的方向なので、様々な大事な事・物を延々と破壊し続けるのみ」です。

  {現在の日本社会には、次のような「空気・力学」が重く横たわっている

大衆:
・「自分の事でない」
・「関係ない」
・「誰かがやる」
・「そんなのより日々の有象無象のこと」

常識論・空気:
・「科学者・専門家・お上の定説なら、それが正しいんだろう、常識だ」

専門家:
・「誤りを認めたくない」
・「持論見直しに至らせるような、動機が存在しない」
・「見直せば不利益になる」
・「大体四の五の言ってる連中は、世の中を・常識を分かってない、
 観念論ばかりの連中だし、構うことはない」
・「別に真剣に考慮する訳ないし、通り一遍に、頭ごなしに否定しとけばいい」

政治・官僚・公的部門・権力側・既得権益側:
・「票・権力・金・利権・組織拡大に寄与しない物に、真面目にやる訳がない」
・「そもそも邪魔になる物は排除して当然」
・「ムラのやり方・慣習に楯突く敵対勢力は除外」
・「権力基盤を阻害する連中は邪魔者」
・「下層階級・下々が、対等な立場で物言いするな」
・「本当に日本・社会・世界の為になるか、本当に良い事か、という観点は判断基準ではない」
・「権威主義に裏付けされた無謬性志向」

マスコミ:
・「ジャーナリズム精神の無さ」
・「ムラ感覚」
・「権力との共存」
・「スポンサーや公的保護など、常にメリットデメリットを天秤にかける、損得感覚の優先思考」
・「ぬるま湯感覚」
・「本音と建前・偽善性(例えば格差是正を言うが、自らは社会上層部として維持されるべきとする)」

「現代社会の支配的力学」とは「システムの奴隷」「空気と同調圧力」「権威主義と従属」「徹底した集団主義・組織論」「自由思考と理想志向の放棄」「精神・感覚・自然の無視」「利害感覚の重視」「集団的無関心・迷走・暴走」」「丸投げ・責任放棄」が蔓延した物であり、これに「世の中全体に重く圧し掛かる集団的感覚」に覆われ、同化しきっていて、「酷い状況しか招かない悪循環」が続いています。

この強い空気・力学の中で、「どこかで疑問を持っても、次の諸事によって忘れ去ってしまう」「そういう無知化・無関心化に繋がる忘却を、世の中の空気が強力に後押ししている」「この世の中の空気に浸りきり、空虚に流される」「質の低い常識論や、利益追求に伴った情報・力学のみが、世の中を振り回す」というように「良い方向性は潰され、悪い方向性が助長される」と状況が、日本中津々浦々で刻一刻と繰り返されています。

また「あまりに既存常識や現行体制を巨大視、前提視し過ぎている」「空気至上主義」である為に、「一つ一つの良心や感覚・言動も、その好循環・発展的可能性が、社会の各所で悉く潰されていってしまう」という状況にあります。この原因は「茫漠とした不安感(DNAから日本人に強いといわれる)」など各種要因がありますが、そもそもが「個が確立されていない・抑圧してきた」ことによる物で、例えば「"おかしい物はおかしい"という当然の感覚を抑え込み、自己の思考・感覚を矮小化させる」「集団心理への過剰同調により、"仕方ない"などと意味不明な諦めをするように導かせる」という典型的様式こそが、最大の悪しき要因です。「"小さな疑問と、建設的・発展的思考による解決"という方向へ導く、当然の感覚さえ失わせて、ロボットのように右に倣えをさせ続けてきたこと」こそが「日本社会に特徴的な諸悪の根源」であり、「原発事故」「地霊の低下」「男女格差や閉鎖的なムラなど」「乱開発・自然破壊・景観悪化」「利権・利害が過剰に支配的力学になっている事」「潜在力・努力に比して、状況が醜悪」という「日本の近代~戦後~現代までの負の状況」の圧倒的最大の要因です。

  一見「教条主義・硬直性」と「無原則・無定見・場当たり・客観基準不在」は対立概念に見えますが、実際はこの二つには親和性もあり、「教条主義・硬直的で、且つ、無原則・無定見・場当たり・客観基準不在」との空気は「日本中の各ムラ・組織・界隈」に溢れ返っています。それは「空気・力学という主体」「権威・権力」「利益固執」「組織論・組織肥大化」にとっては「教条主義+無原則の組み合わせは、ご都合主義+利益最大化+責任回避ができるので、最も有効な行動原理」だからであり、この思考は「ある時には、規則・掟・前例を楯に、杓子定規に拒否」「ある時には、違法でないから、お偉方のお墨付きがあるから・・・云々との理由で、多数の声・潜在懸念を無視、前例・規則に則らず、場当たり的に押し通す」「その時々の自己利益に応じて、詭弁的にやり方・言質を変えて・使い分けて、利益固執・権威最大化・ムラの論理のごり押しをを図り続ける」といった根本的原理に貫かれています。

「教条主義」「無原則」は「端的な悪い所どり・駄目な部分の組み合わせ」であり、現実として「戦後日本の上層部・中枢部・ムラ・組織・・・の空気・力学」は、このような方向性に支配されてきてしまいました。その結果が「原発(ご都合主義に観測結果・意見・規則・利権配分を使い分け・取捨・隠蔽)」「街並み(各分野に細則=利権・役所の管轄はあるも、ゾーニングや美観向上の条例・合意は不施行。法・規則の不執行分野の存在)」「経済重視といいつつ、同勢力が天下り法人等を野放しにする(天下り法人の多くの分野=無駄な仕事・金・手間・人的資源浪費)」「政治用語・官僚用語・霞ヶ関文学(規則押し付けと、自在な規則すり抜けの、両得を目的とした不誠実さ)」「サービス残業・過剰労働(規則の有名無実化と、組織論の斉一性押し付け。経済重視で放置されるも、合成の誤謬で社会閉塞・余暇産業減少→経済停滞・少子化を招いている)」です。勿論これらも氷山の一角で、その影には無数の「日本各所・地方の報じられない、酷い・おかしな出来事」があり、また、その下にも「ごく日常の理不尽さ・不合理」が積み重なっています。

例えば「科学界界隈の元素変換による放射能除去の否定論の思考様式」は「様々な観測結果を、実質的思考を経ずに全否定(思考感覚の硬直性・視野狭窄・水平思考の無さ)」→「共同検証を拒否(これ無しに、真理追究は不可能)(独善性・非実質性)」→「自らは真理追求の義務・責任を負わない(第三者的立場を維持・立場上上位と匂わす)(無責任・非相互的・一方的関係性・権威主義・粗暴性)」→「理由は常に、科学的に有り得ないから・トンデモだから(原理主義・非客観性・非論理性・類型思考・空気への従属)(感覚・直感の否定=個の抑制)」→「だが自らは科学的思考・論理性的論証をしない(利己主義・優越思想・非対称性)」→「その上で、従来見解による否定論を繰り返す(非建設性・無謬性志向・社会の硬直化)」→「真理の追求ができない・状況が改善しない(問題の固定化・非改善・悪化)」という物で、これは上述の「社会の空気・力学と作用と結果」と全く同じです。

このような思考法は「持論・結果の正誤(例えば環境中の元素変換があるかどうか)」以前に、「物事への姿勢・対峙の仕方として誤っている」物であり、そして「原理主義的思考法(論理・感覚を無視して、一方的論理を主張)」その物なので、「非論理的・一方的で、何を言っても通じない」というのが現状です。そしてこれは何も科学界に限らず「現代社会の誤った・不誠実な支配的空気の、一つの界隈における現れ」にしか過ぎません。

結局これらは「意識の低さ」から起き、即ち「波動が低い」のであり、この「低波動の空気・力学」により戦後日本は異様に捻じ曲げられてきました。同時に、特に日本に特徴的な問題要因として「それに気付く、気付きをもたらす前提としての、自由思考・自律思考・水平思考・柔軟性などの抑制」が長年行われてきたので、丸で「奴隷・家畜がその状況を当然と思う」が如くに、「多くの問題点に際し、その原因にさえ気付かない・問題の在りかが分からない・問題とさえ思わない」との状況を招き、「更なる隷属化・閉塞化という悪循環」を招き続けています。そして、その結果としての現況が「社会自らの在り方により、因果として巡ってきたのが、現代社会の無数の問題・社会病理」「意味不明・不合理な空気・空気支配による、自己中毒的な停滞・閉塞化」です。

  日本は毎度毎度「訪米・訪欧・国際政治舞台」で「手土産」を持参して、無視され・ぞんざいに扱われ、日本人の大マスコミばかりの記者会見で自賛して、マスコミは「緊密な日米・日欧関係云々・・・」などと伝えます。「ジャパンパッシングという言葉の頻用自体」が「隷属思考・主体性の無さその物」「空洞化した・内面が存在しない日本の在り様その物」で、こういう「固定観念・硬直思考」「一面的で矮小な思考の枠」「上下関係的思考(欧米を絶対的価値・基準とする観念、その下で良い位置を得たいとする権威翼賛)」に完全に囚われていて、そこに疑問の余地さえ存在していません。

政治家は「公費の海外視察旅行」をよく行いますが、渡航先は大概「欧米」で、外交官が主要任務として便宜を図ります。しかし、視察で得た「海外の高度な政治・社会の制度など」「それを政治の場で、日本社会に如何に適用するか」については、殆ど「報告されず、実際に適用されず」といった状況です。政官は「欧米の社会体制・構造が、日本よりかなり良いと認識、だから視察に行く」はずで、その上で始終視察しているならば「もう既に日本の政治・官庁の構造・体制は、かなり高度になっているはず」「欧米ほかの"社会制度の良い部分"は、積極的に導入されている筈」ですが、そのような痕跡は見えず、殆ど導入されていませんし、「日本の政治・官庁などの構造は、悪い意味び守旧的な部分や、既得権益を維持した物が多い」です。

そもそも「大金をかけて行くほどの熱意・意欲」があるならば、「たった今から書籍・ネット・詳しい人・多様な意見から良い物を選び、因習・悪弊・非効率を改善すればいい」だけの話です。でもそれは「既得権益」「"欧米に公費視察できるほど、便宜供与されるほど、先生と尊敬されるほどに、偉い自分の既得領域"」の放棄になるので、制度を改善しようと思いません。そして世の中を良くする事が主眼で無いので、止めようと言えば村八分になります。

また「より高次元と看做される欧米の制度は、地方議員の報酬は手当て程度(地公務員は民間平均を下回る)、権益は少ない」ので、公費視察をするなら先ずこの制度を取り入れるべきであり、「地方議員・天下りなど各方面に多額の報酬を払わなくても、"高度な政治・社会の制度"が存在しているほど、体制が成立している点」こそを見習うべきであり、先ず根本的に見ている方向がおかしいです。

類似の主張に「選挙には金が掛かる」がありますが、ならば掛からない制度を導入すれば良いだけの話です。公費視察に行くなら「欧米の金の掛からない地方自治」を学んで、そっくり導入すれば良い話です。「日本は馴染まない」というのは毎度の詭弁で、それは「日本・日本人は根源的に程度が低いから出来ない」と言っているのと同意、要するに「大きなムラの既得権益の基盤が崩れるから拒否する」という低意識の賜物のだけです。地方財政は深刻で、超長期不況だが、自らや取り巻きの利益はしっかり手当て、このような状況で選良も公僕もあった物でありません。「最重要な点を完全無視して、界隈の空気や、ご都合主義な利益・保身・権威ばかり重視する」からこうなってしまうのであり、「高いレベルの欧米の制度を公費で見に行く人ほど、よりレベルが低い議員」となっています。

これらは何を示しているかと言うと「政官に高い意識が無い」「改善意識が無い」「権威・慣習・空気への隷属意識が高い(国内外問わず権威に対して隷属或いは振りかざす)」「主体性が無い」「下々に対しては権威主義思考である」「内的規範が無い」「税金・公的権力を私物化・権力拡大の道具にしている」「非常に次元が低い構造・体制」「極端な制度疲労」「合成の誤謬(どう良く見積もっても)」「自家中毒的」「非常にムラ的・閉鎖的な構造」「考える・感じる・想い、などなどが存在しない」「自浄能力が無い」などです。

そして、より根源的には「全体主義と権威主義を志向、拠って金・物・権力の方向性の制度の維持に固執する」「その反対側の制度を拒否、拠って改革が行われず、低意識が蔓延する」「国中に低意識が広がり、低波動となり、不幸になり、災厄が増加し、抜け出せなくなる」ということです。長らく「日本の政治状況とその背景の低意識は、日本の不幸・災厄・低波動化の元凶となってきた」と言えます。

浜岡原発の危険性は簡単な言葉では言い表せないほどの物ですが、端的に「世界中で飛び抜けて最も危険な人工的構築物」です。「最も昔から指摘続けられてきた東海地震想定震源域中央部に位置」「岬の先端にあり、海域で発生するとされる震源域の直近の陸地」「近年危険性が言われる3連動地震」「直下に幾つも活断層がある」「嘗て広く知られた湿地帯・脆い砂地を埋め立て作った」「静岡沖地震(2009)で非常に大きな揺れがあったが、揺れが増幅される立地にあるとの説が根強い」、その他多くの危険性が指摘されています。3連動地震では「超巨大津波が来る」「各地で甚大な被害が起きる」「東西交通網が寸断される」「日本が麻痺する」とされ、東北大震災より非常に危険な状況が幾つも上積みされます。「震度6弱で壊れた浜岡が、桁が幾つも違う超巨大地震に耐えられる、その後の事故防止の為の物資・人的資源補給も万全」などと、どのように考えたら言えるのでしょう。浜岡は停止後に、炉が壊れていたので膨大な海水が流入、これが実際の地震時だったら?と容易に想像が出来ます。そして「原発の壊れは、普通によくある事」です。

若し浜岡と同等な危険度を持つ原発が他の先進諸国にあったら、その国でどんな議論・反応が起こるか、容易に想像が付きます。あらゆる方面・場所で猛抗議が起き続け、すぐに廃止され、後々も「それが存在した事自体」に対して、重大な議論が起こり続けるでしょう。それは「あまりにも危険で、ありえない物」だからです。翻って日本では、云わばこの程度です。しかしこれほどの何重にも極端な危険性を持つ浜岡の停止についても、「拙速(この言葉の詭弁的・欺瞞的用法の多さは既述の通り)」「問題ないし安全なのに止めるな」「騒ぎ過ぎ」「普通に対処できる」等等の反応が多数存在しました。これは思考の自由云々を超えて、ただ只管に「原理主義」「無思考・無感覚」「権威性」「過度な経済・金銭偏重」「子孫や後代の事の無視」などです。そしてこういう反応は先進諸国では多数起きるとも思えず、また、日本では「自己規制・自己中毒的な個の抑制と集団第一主義」が末期化しているので、云わば「横並び的な表現の不自由」が存在して、「素直な持論・想い・疑義が主張できない、更に何も考えない方が良い・正解」という状況が存在、日本での各種社会的議論や個人の思考が低い質量に留まっているのと比例して、原発関連でも同じ事が起きています。ここに日本上層部が志向して来て、それを実際に行ってきた「戦後・明治以来の統治体制の行き着いた果ての姿」を見て取る事が出来ます。残念ながら、従来・近年の日本は「そういう国」でした。

  特に日本のマスコミは、先述・後述のように「公器たる気概」「ジャーナリスト精神」「柔軟思考・水平思考」「非権力的な草の根思考」「開放的思考・非ムラ的思考」など様々な物が欠けていて、高度に「資本主義的・物質主義的」「政治・芸能・スポンサーほかの各ムラ・ムラ的構造」「論拠不明のエリート意識と、その表裏一体の隷属志向」「格付け重視・ブランド志向・権威翼賛」に支配されています。そしてそこから流される情報は、後述しますように、先進諸国のマスコミと比して「次元が低い」「(情報量・情報価値・独自性)/(時間・記事量)という観点で見て、中身が薄い」物ばかりです。それらを延々と流し続けていているので、「日本中で流れている主要な情報」は「中身が無い物、次元が低い物、決まりきった視点の物、お約束的・予定調和的・空気至上主義的な物、酷く形式主義的な物、非常に資本主義的・広告至上主義的な物だらけ」になっています。

専門家・研究者は御用学者に典型的に見られるように、「真理・学問の探究」「知識・技術・認識・社会の前進」「社会的視野・公正性・妥当性」は蔑ろにされ、学問・科学に名を借りた「空気・界隈の論理の重視」「組織・分野・持論の正当性固執・保身」が横行しています。例えば「食べないでも生き続ける人」は、昔から多数存在、NASAも実験で「食べずに生き続ける人の存在」を確認しています。これは現代科学上では不可能で、という事は「現代科学に根本的誤認が存在する可能性が非常に高い」となります。ですが一般的に科学界では「よく分からない・・・」「何か仕掛けがあるんじゃ」「別の科学的仕組みがあるのかも」といった程度の言動を更に超えて、「OOのような原理が存在するのでは」「この実験が示すのは現代科学と異なる、XXの原理があるという事だ」などと言うと、途端に「嘘・トンデモ・インチキ・科学的におかしい・科学的素養が云々」などと言われ出します。これは「ある枠組みの外側に対し、思考を最初から放棄している・思考自体を行わない」「絶対的に枠の中が正しくて、外は全て間違っている」という「完全にドグマ的な思考法」です。そして「ドグマなので論理は通じない」という状態であり、その上で「科学=論理として、自らのドグマは原理主義的に主張する」という事を繰り返しています。

「ネズミのテレパシー実験(項目6①の記事⑫)」のような事例に対して、科学界・科学通が繰り返すのが「査読・偽科学・科学的素養云々」です。しかしそもそも最初から、そして現時点も全真理を分かっている訳ではなく、時折は実験・観察・精査して、事実・真理を確かめていかないと、「間違う可能性がある」「事実誤認をする可能性がある」「誤りが放置され続ける可能性がある」「それが原理主義化・ドグマ化する可能性がある」のは至極当然の事です。この種の実験は他にも手法・事例は多数ありますが、科学的にはかなり簡易実験の部類で、「非主流の研究者だけでなく、科学界・科学者有志が、既に何度も行っていないとならない物」ですが、殆ど行われていません。

それは一つに「査読を通っていない」からですが、そもそも最初から査読済みの物など存在しなく、このような事例・報告例(往古の物も含め)が存在するにも拘らず査読査読と繰り返すのは、「科学界全体が循環論法を繰り返している・それを当然視している」「非常に硬直的・原理主義的で、無謬性の妄信をしている」という事を如実に現しています。そして311以後は「日本の破滅的事態」「炉の破壊度・風向き・雨・他の原発の状況など、より酷いならば完全破滅」という状況でした。そういった何か切っ掛けになる事柄・時というのは幾らでもありますが、それでも「疑問に感じたり、真剣に調べたり検査したり」「真に何かの解決の可能性を考えたり・探ったり」「では改めて、多方面と研究・解明する」などという事はしません、何故ならば「それは教科書に載ってないから」「教科書に載ってない事は嘘だから」「そう決まっているから」「常識や空気は正しいから」「それに従う物だし、外れるの馬鹿だから」「査定に響くから・予算がなくなるから」「村八分にされるから・他の人の目が怖いから」「自分と関係ないから」。「真理の追求である所の科学という存在」からしてこのような状態で、しかも日本では「前例・空気・権威の威光・統制力は非常に強い」ので、社会全般についても推して知るべしです。

日本では近年、「何でも新しくしないと、新しい物でないと気が済まないような観念」が支配的になり、常に「中身の無い情報・広告で流されて、新しい物ばかりに飛びつく」「やたらと金の掛かる工事を進め、箱物などを新調する」という状況が繰り返されています。然しながら「新しい思考や、(状況を良くする物でも)現状を変える改善提案は拒否する」という「何でも古くないと・低きに固執しないと気が済まないような観念」が同時に存在、正に「在るべき状態を採らず、在るべきでない状態を採る」という醜悪な状況が近年続いています。そして「"日本伝統の中核とされる物"以外の伝統・歴史に属する物」について、「金・イデオロギーで推進された定型化された物」以外は、「社会の隅々にある古き良い物」は守らずに、例えば「昔ながらの良い風景・情感豊かな風景」などは守らずに、「日本中至る場所が酷い風景だらけ」になっています。「伝統など、色々な物を守っている人」は多数いますが、「公・政官において、そういう部分は金にならないので、票目当ての何がしか以外は、大体無視される」のが通例です。

「邦楽の音楽業界(音楽ムラの各種組織)」に見られるように、「しっかりとした文化創造(=歴史の蓄積と創造)は行わないが、因習・悪弊は守りきる観念だけは、異常なほど発達・常識化・絶対化している」「全く理想図・改善思考・長期ビジョンが存在せず、寄せられるそういう物を無視する」「状況改善の展望や、外部から見た時の未来性が全く無い」「文化や日本にとり良い事かどうかでなく、権利・ムラの領域にとり資するかどうかが判断基準」といった状況を続け、そして尚且つ「その状況・体制・やり方を徹底固執、改善思考や外部の人を排除」します。その中で「高度に"物質至上主義・ムラ界隈的思考"に偏重した手法で、製作された物・売り込まれた物」「非自己表現・非芸術的な手法を駆使した広告物」が世の中に溢れ返っています。

「歌詞サイトのからのコピペができない世界唯一の国」「日本語が分からない人・外国人が歌詞を理解する方法がほぼ無い唯一の国」であるばかりでなく、「Twitterに歌詞を流してほしくないと広報する」「それが違法になるがずっと検討してきた」という、世界中で飛び抜けた異様さです。これを「世界で最も進んだ著作権擁護」などと言うのでしょうが、別に文化創造をしたい訳でも、音楽が好きな訳でもなく、天下り役員などが横行するムラ社会のやり方・思考法というだけです。そしてこれは日本の縮図で、似たような光景がそこら中にあるので、日本には世界に類を見ない「異様な構造・掟・ムラ」が多々あります。金にならないと何かを導入するという事はしないので、「街作り規制(ゾーニング)・開発規制」はあまりありません。逆に利権に繋がる物は容易に導入されるので、先進諸国では認可されていない・あまり導入されていない「化学物質・添加物・遺伝子組み換え食品・医療用物質・医療行為」などは溢れ返っています。

教育制度は問題だらけですが、兎に角「画一的思考・行動をするように訓練されたロボットの大量生産」のような「管理教育」の在り方が最大の問題点です。「学歴システムとその延長の就職・社蓄化」は、「面接で全員が黒スーツ着用」という奇怪な光景を、これもまた世界唯一の物として生み出しています。その最たる物は「運動会・卒業式などの予行練習の長さ」で、これは「集団秩序の形成の教育」ではなく、「集団・掟・お上・空気に従う事の教育」であって、とても教育などと呼べる物で無く、「ただ只管にそんな物だとして従う人を生産する為の制度」「過剰同調と、更に同調競争を育む制度」です。こんな事をするなら、幾らでも他に有意義な事が出来る筈で、無駄どころか害悪でしかありません。更に「頻繁にされる日本の教育制度の問題点の議論」に際し、この点への言及が少ない事は、如何に日本が視野狭窄と過剰同質性に陥っているかの証左です。塾には様々あって、効果や学べる事も多いですが、然し「枠や単一基準・それに付随する物」「やる物でなく、やらされる物」が日本に多い」とは言えます。そして「思考の組み立て」「複合的・発展的な思考」「哲学的思考」を育てるのではなく、「暗記重視」です。

よく日本の学生が「論理的思考・分析力・客観性や能動的思考が無い」「答えの無い物・未知の事に対処できない」と言われますが、幼少期の年代の導入教育として、これらと共に「単一基準の評価」「個性抑制」ばかりしていたら、「水平思考の無さ・視野狭窄」「感受性・精神性の摩滅」や、「無思考・無感覚・無興味の進行(或いは)非論理的な抑圧・社会的不合理への加担・従属」がされていくだけです。根源的に日本の教育は「自主的な思考・感受性や個性を伸ばす物でなく、枠・類型・基準に嵌める物として存在」しています。拠って「枠・類型・基準」「常識・通念」から「外れた物に視点が向かないように訓練され、視野狭窄・無関心にさせていく」という悪循環を形成させています。日本人・日本の子供は「他人と見比べることが多い」「多様性が少ない」「創造性が低い」「外れる事を嫌う」と言いますが、こんな「外部基準・マニュアルに沿う事」ばかり始終してたら、そうなるのは当たり前です。

日本では流行・ファッションは「みんながしてるから・他の人もやってるから」という理由で広がった物が非常に多いです。インタビュー時に「横の友達に"じゃない?""だよね"などと同意を求めながら話す人が多い」というのもあります。ファッション(装飾)・音楽などの「芸術的側面」を見ると、それは「自己表現・世界観の発露」ですが、これは「自己という物がない」「空洞的な存在」と発露しているのと同じです。同じような格好をして、同じような物を見て聞いて、同じように話さないと、流行モノを付けてないと爪弾きにあったり、空気が読めないとされます。

どの地方都市に行っても「似たような無個性で、美観的に優れていない空間」が広がっていて、これは「紐付き補助金・高度に画一化された役人感覚」で「似た箱物・設備が量産される」ことで、より強く推し進められています。このように学校~組織・集団~見る光景~流行から、「類型的な物・枠に嵌められた物」「規制の枠・外部基準の枠による物」が溢れ返っています。

でも一般の社会には、「これらを疑問に感じる心と、そのように至らしめる思考・感受性」自体が、「空洞化・内面が存在しない」「横並び・過剰同調」「権威や空気への隷属」「主体性の無さ」により「生まれて来ない」ので、「何時まで経っても、日本社会の酷い状況が終わらない、悪循環が終わらない、この状況の酷さにさえ気付かない」ままです。そして「マスコミに思考・感覚を委ねている」「テレビ・広告や、その延長の中身の無い会話によって得られた情報が自己の全てで、そのような世界だけが自分が存在する社会の全てである」ので、何ら「深く考える・感じる」「疑念が湧く」「改善思考・創造的思考を持つ」という事もありません。

世界的には一般的に、社会が声を上げることで、何かが規制・導入される事が多いですが、日本ではそういう仕組み自体があまり機能していません。なので諸先進国以上に、「社会全体に良い事かどうか」でなく「利権・思想・特定集団にとり良い事か」という観点が「社会を動かす・方向付ける力学」になっています。そして「この力学は非常に強く、多数が隷属している」ので、「非常に融通の利かない、硬直的な社会」「自ら修正ができない社会」となっています。然し大昔から日本がこうだった訳では全く無くて、例えば江戸時代以前は世界的にも色々と進んでいた部分が多かった訳で、これらは特に「近年において、自縄自縛的・自己中毒的に社会が停滞・悪化して、その中で顕在化してきた諸症状」です。

現代社会・現代科学では「エントロピー拡大(=乱雑性・破壊性の拡大)」の方向である「物質至上主義的・非共存的・強圧的にしているのが正解」であり、「組織集団が重視する共通語は金・権威・ムラ・組織論」なので、「人々の意識・関心や社会的方向は、常に低きへ流れていくように仕向けられている」という状況にあります。もうこれはが「家畜人間」「無自覚で自己中毒的な監獄社会」「無限の隷属・奴隷・権威の循環」と言われるような状況でしょう。ただ根は総じて真面目なので、これが根源的な部分で崩壊を防いでると言えるしょう。

  何故このような事がいけないのか、波動原理による側面も含め、次のように説明できます「生物は生存本能があり、生存の為の最低限必要な自我なども存在する」「同様に人々の集合的な意識である集合意識も"生存本能的な性質"を持っている」「真理に沿わない集合意識が強くなると、その"歪んだ集合意識と生存本能"は拡大していき、それに人々は飲まれていく」「そしてその社会的悪弊・病巣は、益々怪物化していく」

これについては「利権の為」に、こう欺瞞的に言わないとならない。これは「核の為」に、こう言い換えないといけない。これは「利益集団の為」に、こう嘘を言わないとならない。これは「圧力団体の為」に、こうごり押ししないといけない。これは「権威の為」に、こう捏造しないとならない。これは「都合悪い為」に、徹底して無視しないとならない。これは・・・

そもそも職業の多くは「実入りがいいから」「安定しているから」「華やかだから」「コネがあるから」「そこしか入れなかったから」「何となく」という感じで選択した物が多いのが実態です。しかし組織に入ると「組織の利益・拡大・維持・正当性が絶対的な物」となり、「社会・日本・世界・地球レベルにとり良い事・成すべき事は、軽視・無視される」のが日常茶飯事です。

「非常に多種類・多量の有害物質」が「利益・金銭・組織・思想」の為にばら撒かれ続けていて、人体~環境~地球全体が汚染され・蝕まれ破壊され続けています。出来るだけ費用の掛かる事はしいのが、利益計上の前提で、「地球環境・人々の幸福と引き換えにした金銭的利益」は。過度な資本主義的社会において破壊的に顕在化します。この「負の費用」を考慮に入れない事で、様々な組織・人は距離を得て、それらは全て人・生物・環境・地球に押し付けられています。現代社会の力学では「金銭・組織死守」が「社会の為になる事」より上位概念で、「企業価値=金銭・株式価値=企業・人々の行動原理」であり、この世の中はそういう社会構造を基盤として存在しています。

このように現代は「全体利益・全体の幸福と、自己利益・狭い集団内の利益の、利益相反が起きた時」において、「例え日本が壊滅するような危険性が非常に高くなる選択肢でも、自己利益の為ならば、そちらを選択する」という事が、当たり前にように起きてしまう状況にあります。これはごく全く前提なしに考えるならば、「あまりに異常な状況」です。凄く単純な言い様でもありますが、全く字義通りに、誇張抜きに「あまりに異常な状況」です。

日本では個が尊重されていないので、会社・組織に忠誠心を尽くさせる、馬車馬のような働かせ方が横行しています。サービス残業も含めて労働時間は異常に長く、「そう決まっているから、上司・周りががそうやってるから」というので定時・先に帰れなく、「意味が良く分からない無給労働」を課されている事が往々にあります。家族との時間・自分の時間も無く、ただ只管に「労働の為・会社の為」に存在しています。

いつも「斉一性」「歯車になる事」「外部基準に従う事」が求められています。何故なら「そういう物だから」「それが常識・世間だから」「過剰同調しなくてはならないから」です。みんなで同じ事をしなくてはならないので、この社会というのは自らが、視野が狭くなる方へ、選択肢を狭める方向へ、未来を閉ざす方向へ追い込んでいます。それは「真の何らかの意味」「社会という物の存在意義」とは反対の方向でしょう。

長年のアンケート結果では「幸福度の実感度」が、世界平均と比べてもかなり低いと示されています。収入は先進国最下位レベル、少子化・価格叩き合いなど過剰労働の負の影響は各所に顕在化、然しながら「過剰労働の目的は経済・収入」で、正に完全な矛盾です。しかし「全体主義的方向」と「過剰労働」「ロボット化・隷属化」は一致、これは「ある体制」には「そうあるべきとする方向性」「都合が良い事」なのでしょう。

日本で起業が少ない理由には「"非本質的な事柄への要求基準"が非常に高い(因習の踏襲など)」「投資家の金銭的見返りへの要求度が高い事(アメリカは面白さ・独自さ・社会の役に立ちそうな事への投資が多いとの事)」「感覚のロボット化(他人と同じでないと不安)」「社会に遊びの要素が少ない(負の生真面目さ)」という要素もあります。「もっと財産があれば幸せか」を尋ねた9ヵ国アンケートで「日本は同意者の割合が高い3ヵ国の一つ(65%)」「6ヵ国は同意者は3割以下」、但しこれは超長期不況の影響も多いでしょう。

311後のブータン国王夫妻が訪日時、「日本を賞賛した事が多く報じられた」「然し現在の日本に、賞賛した(過去の日本の)事柄が残っているか」「ブータンは国民幸福度が非常に高く、自然を守り、伝統を守っている。これは意識・矜持が素晴らしいと褒めた」「では近年の日本は?褒められた事に浮かれ、ブータンは素晴らしい・好感度が上がったなどと言っているが、ならば今の日本をどう思うのか、変えようとしないのか(勿論全く開発しないなど有り得ない、適度なバランスが重要)」という状況がありました。311後には「金銭万能主義・物質的価値観・経済至上主義・利己主義・欲得への執着などの無常さ・無意味さ」が多方面から言われましたが、また以前の状況に戻っています。方丈記(鴨長明)には、元暦大地震(1185)の後の状況について次のようにあります「地震が起こった直後は、人々は皆「はかない」などと言って欲に塗れた汚い心も少しはきれいになっているように見えたけれども、年月を経るうちに、そういう言葉を口にする人もいなくなった。」

  このように日本では長年、特に政官業など社会上層部では「論理(論理的な思考・議論・説明・提案)」が蔑ろにされ、しかも「感覚(精神・感受性・自然環境への親和感も含まれる)」も蔑ろにされ、この「人間・社会が持つ二大方向性:論理と感覚」の双方ともが蔑ろにされてきました。では何が重要視されてきたか?それは「空気・常識」「組織・集団・横並び」「権威と隷属」「金・利害・資本主義的志向を持つ諸々の事」「自己抑制・ロボット化・空洞化」等等です。元々の日本は決してこんな物ではなく、というよりもかなり素晴らしい物が多くあった筈ですが、然しながら「戦後若しくは明治維新以来、上部社会構造の根源的力学たるこのような方向性に、日本社会が徹底的に振り回されてきた」ことが、このような今日の異常な・惨憺たる状況を招いてきました。

これらはそもそも論として、「現代社会の根幹自体が、決定的且つ根源的な問題を抱えている」という事であり、このような社会が「幸福になったり、持続可能な状況で永続したりする」などという事は有り得ません。それどころかごく当然のように、「このような社会体制」であれば、「永続的に幸福・豊かなど、理想とする状況になる確立」よりも「原発事故・放射能を始め、様々な可能性による、日本完全壊滅の発生確率」の方が、「当然のように発生確率が、そのような状況になる蓋然性が、遥かに高い」です。この「あまりに異常な社会構造」を、「付け焼刃による状況改善」など有り得なく、「お為ごかしのやり方・発言」など全く無意味です。破滅を回避するには、「現代社会の在り様自体を根本的に変える」、これ以外に方法論はありません。

「波動原理の非公然の現況も数多の社会問題も、問題の根は基本的に同一」「偏りは必然的に意図を超えた悪影響を波及させ続ける」のであり、例えば「全体主義傾向の人が認識する社会問題の多くは、社会の全体主義傾向により悪化している」と言え、更に硬直性が伴えば社会矛盾・空洞化が促進、破綻へ向かいます。全体主義・権威主義なりの傾向を持つ人が、幾ら"これはおかしい"と言っても、その人の好む状況も「社会的偏向で生じる物」である以上、「個別意見は説得力が薄い」「全体意見は論拠・合理性が欠如」します。また幾ら"これで良い"と認識論で糊塗しても現実は不変で、根本的に在り方自体を変える以外に改善法は存在しません。結局の所「不公平な状況で、特定集団・思想だけ優位を保ち、社会が成功し続ける」ことは有り得なく、社会の改善には「各観念を超越、万事公平な視点を持つよう努める」しかありません。また「社会的方向・国家政策が真理と反する物」だと「溜まり続けたカルマによる社会の低波動化」を招き「地震など大災害での解放」が起きます。例えば「歴史的に柔軟に物事・思想を取り入れてきた(量子水に見られる親和性に近似)」事など、日本は元々良い面が多数ありますが、それらは「芯・軸の消滅・空洞化」「硬直化」により急速に摩滅し、また個々の事象の改善無しに全体状況が改善する訳が無く、現実に諸外国の進展に比べ後退化を繰り返し、自ら無駄に、そして非常に状況を悪化させています。これらが「近年の停滞・硬直化、利益維持・強化、社会分断化」を招いたのは明白で、また「日本は先細りする・衰退する」との認識が一般的である以上、ここから脱却するしかなく、若し固執すれば「大衆が無関心化・諦観・空洞化した、全体主義的な衰退国家」と化すでしょう。

  「自然・大地・空気」は「生物にとって欠く事のできない物」「全人類・全生物・地球上全ての物の共有物」です。「相互尊重・互助」「愛情」などは「これなくしては、人間関係・社会関係がまともに機能しないほど重要な物」「人間として根本的に持っているべき物」です。例えば「何らかの勢力だけが有利になる事がない」ような、「常に社会が良い方向へ改善していく」ような「良い社会体制」は、「本来ならば、当たり前のように構築されているべき」「そうでない社会は常に歪さを抱えて、多くの人や環境に犠牲を出し続けていく」のは必然です。

これらの「全人類や全生物・地球全体が共有している領域」というのは、全ての人々の物であり、これは「共有領域・共有域」と呼べます。この「共有領域」こそが「人間や社会として最も大事な部分」「高度に達成すべき部分」です。

しかし現代社会は「共有領域は「等閑(なおざり)にされている」「個利個略を選択するのが当たり前になってしまっている」ので、社会全体が「共有領域と、それが存在し得る社会基盤を破壊するような方向にある」(あり)ます。それどころか「全くどうでもいい物とする」「既得権益を脅かす物とする」「対論側がよく使う概念だから」など「あらゆる理由・意図」で、「共有領域や、その状態改善の試みに対する阻害行為」「共有領域を、丸でゴミ捨て場や掃き溜めのように扱う」ような行為・言動が、非常に多く存在しています。

「共有地の悲劇(コモンズの悲劇)」という経済学用語・法則があり、「多数者が利用できる共有資源が乱獲されることによって資源の枯渇を招く」という現象を指します。自然環境は常に軽視・無視され、「共有地の悲劇(コモンズの悲劇)」により破壊されてきました。上記のような思考法・現象は「意識・精神面での、共有地の悲劇(コモンズの悲劇)」であり、「意識の劣化現象」「粗暴な利己主義」その物です。これは正に現在の社会が以下に酷いかを端的に表している現象で、このような社会がまともに存在できる筈はありません。当たり前のように、低意識だらけの状態(=低波動・破壊的波動)になる筈で、実際に現在の社会はそういう状況です。

「男性性:陽」「女性性:陰」と言え、「男性性」とは元々は「攻撃性」ではなく、本来は「活動的・創造的・実行」にあるのです。しかし社会があまりに酷く、そして過度な男性偏重の世の中が延々と続いてきた事で、バランスが極度に崩れて「善なる男性性が、攻撃性・攻撃的な集合意識へと変質、破壊性を帯びた波動となり」、その捌け口が様々な方向に向かって、人体・精神・人間関係・社会・地球を壊し続けてきました。

全ての人間の本質とは精神的な物である「魂」にあり、「魂」とは「不老不死」「神的な存在」であり、それは本来「高尚」「自由」「平等」な物です。外身の物質的肉体を持った人間は、その魂の「内在」「内発性」によりより高みに到達し、社会もこの部分を重視しなくては、決して高みに到達しません。況してや、その反対の方向の有象無象に依って生きていたら、低きに行くだけです。

明治時代、田中正造は「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし。古来の文明を野蛮に回らす。今文明は虚偽虚飾なり。 私慾なり、露骨的強盗なり。」と語っています。南方熊楠は神社合祀政策に対して、往古から地域に根付いてきた基層文化の破壊と共に、鎮守の森が育む固有の生態系の破壊を危惧して、反対を訴えました。この運動には柳田國男なども参加、政策撤回を実現させています(多くが合祀された後ですが)。その後、社会は誤った方向へ行ってしまいましたが、こういった偉人のお陰で、どうにか現状程度には環境や文化が残されています。人間-社会-自然環境という関係性を考える場合、こういった観念こそが大事でしょう。

  人間というのは「"社会的に規定された類型的な役割モデル"の中から何れかを無意識に選択して、それを演じながら大人になり、社会でそう生きている」、そんな風に社会心理学などで言われます。これは「集団」も同じで、「世界中の人間・集団は、世界的・社会的に規定された役割モデルを演じている」「世界・社会からの認識のされ方によって、その人・集団の思考・行動の様式は、かなりが規定される」と言えます。

この「世界構造の中で定義付けられた型」という物は「現在の世界的秩序や各国・各集団を大きく規定」していて、このマクロ的視点抜きに「各国の状況・構造とその背景」を正確に把握する事は出来ません。世の中の多くの事柄は両義的に存在していて、「自らの在り方・方向性」も「自らが選択できる物」であり、同時に「外部的に規定される物」「大きな流れが方向付けられている物」です。これは波動原理からも、そのように説明できます。

現代世界では欧米人は世界の主人で、例えば映画に登場する欧米人=「善人・悪人・一般人・スター・・政治家・芸術家・哲学者・社会運動家など、全てを兼ね備えた万能的な面々」として描かれています。そしてこれは「単にそういう物」というのではなく、「数多の背景と、重大な悪影響を帯びつつ存在」しています。このような【現代世界の「統治体制」「社会的認識・秩序」「人種・国ごとの役割論・ヒエラルキー」】は、自然と世界中の社会へ浸透、ごくごく一般の人々もこれに影響され、各種の基本的認識論が形成されていきます。

この世界構造により齎された物の1つに、【ある国・地域・人種の人々・事柄は「主人公的な集団・人種(Master Race)で、世界を統治する集団である」「良い事も悪い事も世界中で主要な事柄として報道される」「世界中を気に掛ける人々、改善する役割でもある」「他集団の人或いは世界は、その集団に従うようになっている」という無意識の世界的認識論・世界的体制ができている】という「現代世界の基本的・絶対的な構造・通念」があります。これにより【その集団には「広い視野で柔軟性を持った、世界中の問題点に目を向け改善しようとする、意識の高い人々」も多く生まれるように、方向付けられている】となっています。

逆に「下位ヒエラルキーとされた諸集団」というのは、【世界秩序・世界的体制の中で、何の役割も与えられず、云わば透明人間として扱われている】と言えます。そして【その国・地域・人種の人々・事柄は「良い事も悪い事も世界中で主要な事柄として報道されない」「世界中に影響力の無い人々」「更に言えば存在してもしなくても同じようだとされている人々」「上位構造の集団や、その集団が構築する世界構造に、従うようになっている」「絶対的なガラスの天井があり、その下部にしか存在していない」】となっています。

下位構造は半ば「無力・無意味」とされ、人々は「どうせ自分達は意味がない」「何を考えてもやっても同じ」と思い、既述の社会的流れと同様に【現在の世界構造は、下位構造の集団に対して「社会・人々の意識・在り方・諸状況を徹底的に低下させる」方向に働くように存在】しています。具体的には【社会広範や人々の「無思考・意識低下・無関心化」「或いは芯の無さを嫌がって、何らかの依拠する軸を欲して、権威主義が横行する」「無思考・無感覚の中で放置された存在として、非論理的構造が跋扈する」「世界秩序の面から、無思考化や視野狭窄の方向に訓練されてるので、何時まで経っても、問題の根源的な部分とその改善法に気付かない」「拠ってその社会は変わらず、低きへ流されたままになる」というように方向付けられている】というように顕在化していきます。

育児・教育での「DV」の1つとして「育児放棄(ネグレクト)」があります。赤ちゃんに対して父母が無関心であると、それはその時点でDVであり、多大な悪影響を発生させていきます。これは何も赤ちゃんに対してだけでなく、社会においても普遍的に発生する現象です。【世界秩序・国内構造・社会構造において「無関心な・大して扱われない分野・集団・事柄」が存在すると、多大な悪影響が発生する」というようになっていて、これは「社会心理学・集団心理」「マクロ的視点」から「人間・社会という物はそのように出来ている・形成されていく」と指摘できます。

拠って「現代の世界秩序」という物は、【下位ヒエラルキー集団の間・社会では「環境・自然」「社会・世の中の諸々の事」「世界中の自然・環境・生物・人々・物事」に対して「無関心化」「どうでもいい存在と思うような心理」を助長する物として存在】しています。そして上下関係意識の下では「上位構造の国・地域・人種の事柄より、下位構造の物事は無価値とされている」ので、「各種問題を下位構造に押し付け、厄介払いする」「下位構造・邪魔な存在に押し付ける事で優越感を感じる」という思考・行動が世界中で茶飯事として起きています。更に先述のように「低い意識においては、"共有領域"を尊重しない・蔑ろにする」という基本的傾向があるので、「自然・環境なり、精神的な物なり、共存に必要な諸事なりは蔑ろにされる」という状況が進んでいき、更に人々の心を荒廃させていきます。

このように【現代世界の構造・秩序という物は、その存在の方向性自体が「人々の意識を低質化させる方向性を有している」「世界・社会を悪い方向へ向かわせる」「これが顕在的に現れた国・地域・集団の間では、特に酷い状況を惹起、更に悪循環を起こさせる」ような物として存在している】となります。これを背景として【人々は無意識のうちに「世界秩序や、国内の社会秩序の、悪しき部分に様々に流されてしまっている」「意識を低下するように、視野狭窄するように、非柔軟・硬直的になるように方向付けられている」「これにより利己的になったり、問題の在り処に気付かないようになる」「世界的或いは社会的な集団意識(波動原理を含む)により、自縄自縛的に酷い状況・方向から逃れられないように仕向けられている」というように、様々な悪影響を現象面として齎されています。

この「人種間・集団間の役割モデルの社会構造」は、近現代を特徴付ける最大の認識論・構造の一つです。長年、国内の社会構造により隷属意識を植え付けられた日本でも、この認識論は非常に強固であり、メディア・街角などあらゆる場所でその光景が見られます。そして、日本とアジアなどは「世界構造の中で下位ヒエラルキーなので、低湿な意識・状況へ方向付けていく効果が齎されている」、更に日本は国内固有の問題点により「自己中毒的に在り方・思考・状況が悪化している」となっていて、世界中において「国内外で下位構造への問題押し付けは、際限なく続いている」となっています。

「自民族優位思想・文化優位思想」は、「若しも他国で生まれたら・他民族として生まれたら、その国・民族・文化を超越的として、他を蔑視する」という物で、波動原理的に「人間は多くが転生して、他国に生まれる事は茶飯事」なので、「国・民族が違うだけで、後は全部同じで、意識の低さも同じ」です。当然「国・社会により、その平均的思考の妥当性・誤りの程度は異なる」ものですが、でもそれは国・地域の事であって、やはりそういう思考の人は、個人として意識が低いです。そしてこれらの点は「その国・社会の意識の高低や成熟度を端的に表す物」です。

これら「世界構造の問題」「各国国内の大構造の問題」「社会・小集団・個人レベルの問題」ともに、その問題がある部分については、究極的には「全ては意識を低下させる物として存在」しています。社会とは人々の集合的な意識により決せられるのであって、人々の集合意識の低下とは即ち「この世を破壊に導く物・破綻へ追い込む物」です。結局の所、現代社会の在り方とは「長期的に社会を破綻させる方向として存在」しています。

そして意識低下とは、「非論理・非精神的・非感受性」「視野狭窄・非水平思考・非客観思考」「硬直性・非柔軟性」「過剰な利己性・資本主義的感覚」「物質至上主義」「破壊性」「非共存的」のような方向性を持ち、日常的に様々な状況において顕在化していきます。

  日本においては、左右を含め各所に、非常に原理主義的・硬直的な思考が横行していて、例えば右側はネット・組織、左側は政党・組織に顕著に見られるように、「自分側でない物や論、相手側と見做す物は無条件に否定する」という論説・言い様が横行しています。例えば「XX新聞だからアウト(事実報道・事実報道に準じる報道でも完全に門前払いとする主張)」「OO="議論抜き・実質的考慮"抜きに"絶対悪・絶対善・絶対的事実・絶対擁護すべき事"とする主張」などが、無数に散在しています。

これは「非客観的・硬直的・視野狭窄」「物事を峻別して考えなく、全てを十把一絡げにしてレッテル貼りをしてお終い・攻撃する、という一方的思考」「公正に・整合性を以って考えなく、更にそれを同一思考の人々が原理主義的・或いは居丈高に主張するという基本的感覚」による物です。少なくともこのような「諸先進国の主流のネット言論の場ではあまり見られない物」は、それらの国より遥かに多く、拠って日本のネットでの主張のかなり多くは「非常に偏向且つ非論理的な物」が多くなっています。そしてこれは、特に近年顕在化してきた現象です。これによりネット・論壇その他において、まともに議論が成立せず、客観的思考がなされず、「全く非客観的・整合性が無い主張」「都合の良い部分を都合の良い解釈だけした主張」が横行し、これが(ここでも)自家中毒化して「先進諸国では"あまり無いような・極端な思考の人が行うような"主張の繰り返し」が行われています。

例えば左側の思考の根源は「日本は国内外で過去に多くの酷い事をした」「その構造は未だに残っている」「だから過去に日本が国内外で行った事は、大概が酷い事だ(ここから論理飛躍と原理主義化・非客観、以降思考が働かない)」「当時の世界の平均的状況と照らしても酷い」「これに反する論は問答無用で間違い」「そう言ってる人達がいるからそうだ」などという物です。右側の思考の根源は「日本が国内外で過去に行った事は良い事か、当時の世界においては平均的な事が多い」「だから日本も幾つもの国もここまで良くなった」「だから過去に日本が国内外で行った事はほぼ全て良い事だ(ここから論理飛躍と原理主義化・非客観、以降思考が働かない)」「これに反する論は問答無用で間違い」「そう言ってる人達がいるからそうだ」などという物です。

両側の論は部分的には正しく、その論には真剣に考慮すべき事や妥当な事が複数存在します。然しながら全体的には明らかにおかしく、片側からしか見ない偏向に満ちて、思考か硬直化しています。「諸先進国においては、社会の主流論の機軸的思考について、ここまでの硬直性はみられない」のであり、日本だけが突出して硬直していて、これで議論や思考が成り立つとも思えません。

これは「事実・真理を見極めようとする思考・感覚ではなく、ただ只管に教条主義・ドグマ的思考」です。このような非論理的な言説は、当然ここだけにあるのでなく、日本の各所に散在していて、

これで分かるのは、特に日本では問題は左右の何れかでなく、「日本に多い思考法・議論法」にこそあるのであって、それを齎す「日本の根源的構造」その物にあると言う事です。日本の問題の根源は飽くまでも「非論理的思考・非客観的思考・非水平思考・・・」などにあるのであり、結局は「(先述の)日本の問題点の根源的要因と、全く根は同一」です。

ここでも見られるように【日本固有の問題点とは、本質的に「個の抑制」「過剰な集団優先主義」「右へ倣えばかりをさせ続けている」という所に存在している】のです。だから「論理的思考が苦手」「官僚用語(海外の官僚と比しても明確)やディベート時にみられるように、判で押したステレオタイプの意見が多い」などの顕在的状況となっていきます。

日本は歴史的にずっとこうだった訳ではなく、これは「日本の近代以後の統治体制の負の部分が、長年かけて齎した状況」です。そしてこれは、日本人の個人レベルの性質というよりも、「日本において集団時になった時に、特に顕在化する状況・症状」です。それこそが「集団第一主義・個の抑制の、典型的な症状の現れ方」です。

この日本の根源的問題点故に、「物事を細部に、客観的に、水平思考的に見る事をしない」→「論理的思考をする、感覚も伴わせるという事もしない」→「(どこかの・何らかの思想の)紋切り型の類型的思考・同質的思考にばかり依拠・同化する」→「幾つかの類型的な論説が、原理主義的に各思想を持った支持者に称揚される」→「この原理主義的論説の数説が、まともに相互議論される事も無く、同時並行的に存在する」→「各論説と思想が原理主義的・硬直的になり、暴走・怪物化していく」→「一方、集団優先主義であるので、常識・空気至上主義も横行していく」→「まともな議論・思考が存在しないので、"何かしらの権威"が跋扈して、非権威の一般人はそれに隷属する」→「これらにより日本の様々な場所で、自己中毒的に原理主義思考・硬直的思考や、低レベルな非論理的思考・空気優先主義・権威が横行する」→「"個"の部分を否定しているので、"過剰な集団思考が惹起する無思考・権威隷属という日本の根源的問題点"にいつまで経っても問題の根源に気付かない」→「自己中毒的に社会全体が歪み続け、各種の末期的現象が現れ始める」という経過を辿って、社会広範において意識・状況を低質化・悪化させています。

  長年日本では「一般社会でも芸能界でも、やたらと若い子をチヤホヤする」「それを利用し、媚を売ったり、ある種痴的性を武器にする子が多い」と言われ、その奇妙さは諸外国からも指摘されてきました。この影響により「(伝統的分野でない分野の)文化的成熟や、思考・感覚の高度化がなされない」「奇妙で幼稚な幼児性の蔓延(人間の中の子供的・少年少女的部分でなく、ある種痴的である事を、モノ的に持て囃し、年をとると使い捨てる)」という事が蔓延してきました。

然しながら逆に「政治家・社会上層部やその実力者は、高年齢層の人で長年固められてきた」「男性・高学歴・高年齢・ムラ住人」「同じような様相・容貌・界隈の用語」というように、「社会の逆の位置の部分」はこのような感じの一色で固められてきました。これにより「非常に硬直的・融通が利かない」「実質より肩書き・権威・ムラでの評価実力」「界隈特有の論理の横行」「改革志向の否定・ムラと利権の増殖化」が行われてきました。

この極端なほどの差は、正に「長年の日本の低質な部分の丸写し」であり、長年の「非実質性・空虚さ」「虚構性・本音と建前」「非論理性と非感覚性(論理的に考えておかしなシステムで、精神・心から見ても異様で、それらを蔑ろにしている)」等々によりもたらされた、非常に異様な状況です。

これは先述からの「世間や空気による支配」における「一つの究極的な姿」であり、「ある面においては、例えば社会中枢では、非常に権威主義・硬直的・観念的」であり、また「ある面においては、例えば資本主義の悪い側面が露呈する部分では、非常にカネや物質志向に偏重(常に消費性向の高い層・若年層向けに、空疎な情報を垂れ流し、それが常識だと認識させ埋没させる。これによりTV・メディアなど視認性の強い部分は、やたらと空疎な若い子向けの情報が蔓延)」という力学に支配されています。これは「悪しき2つの力学が合一した社会システム」であり、「カネ・物質(と白痴化)と、権威・権力に基く各界隈の空気が、社会各所を支配する・従属させる」ことにより完成された「日本社会の自己中毒的な病的状況」です。「(海外権威も含め)あらゆる各種権威への従属」も「同様の思考・空気・力学・システムによる物」であり、「権威構造の上層部・中枢と、それを利用して地位・権威・利権に安住しようとする寄生的中間層と、権威システムの下部構造の従属者による維持・強化」「自己・内面を無くさせる事による、社会の無脳化・空洞化」が起きています。

しかし、若しもここで「個人個人の個の部分(感覚・精神・思考)が重視・尊重されている社会」であったら、「こんな硬直性も、空疎な情報も嫌だ、そんな物に従属したくない」「どこかのムラ・界隈にとって都合の良い、カネ・物質や、権威・権力よりも、中身・真に意味のある物でしょう」という認識が、当然の事として草の根的に広がっていき、こんな様相には決してなりません。これら「カネ・物質と権威・権力を妄信」「空気に従属させよう・しよう」という社会的力学は、「このようなシステムを社会に作り上げ」「このような思考・認識・状況にさせ」「更に空気を絶対的主体とさせる事で、それに反駁させないようにさせていきながら、且つ内面も空洞化させ」「この低質の状況を、硬直的に固定させる事で、社会を疲弊させ」「破綻の方向へ」と追い込んでいます。

「それらが当たり前の世の中」ならば、どんな酷い・おかしい事でも「常識・前例・権威・空気・お約束」が「絶対的基準」であり、どんなに正しかろうと「対論側・異端・改善論」「思考・認識・方法論・体制に変革をもたらす物」は「排除」されます。しかも現代社会は「社会の行動決定要因は利害感覚」になっているので、尚更酷い状況になっていくのは至極当然、これらを「思考の基準・行動規範・絶対的価値・マニュアル」としてたら、社会がおかしくならない訳がありません。

これが「諸悪の根源」「世界中全ての問題の最大の要因」であり、更には「日本に特に酷く蔓延る諸悪の根源の要因」です。そして「当たり前の事を言う事、行動する事、その内発的動機の、考える・感じる・思うという行為を抑圧させ続けてきた事」、これこそが「諸悪の根源の、更に根源的な問題点」「諸悪の根源中の根源」です。

  社会の回復には「持続的改善機能の内包」が不可欠であり、今必要なのは、過去の縛りの含意がある絆よりも、「より良い未来や可能性を見据えた、建設的な意識の広範な連帯」であるべきです。認識論は急変し得ても、制度変更は時間が掛かりますが、旧弊的な物の比率を徐々に下げて、より良い制度や在るべき状態へと徐々に移行して、中期的に概ね変える事は容易にできます。また、波動原理普及の確定後の考え方として、従来は割合的に「個人・個々の属性より、社会の全体的バランスに帰する問題」が多かったので、拠って「全体的バランスや多様な社会的機能をどう担保するか」「統合的視野により、国・社会・人々の資源の効果を最大化する方法論(権利・ムラ固執から大同へ)」「社会が抱える間違え易さをどう補正するかという機能」「個人・共同体・社会・国・環境・全体の相互関係性をどう考え、良い状態に保つか」「空気支配を止めて、"感覚と論理""個と社会"の両方を重要視する」など全体論が重要だと思います。

あらゆる波動は「全量子はそれぞれの波動情報を保有」「波動はその事物の情報その物」「波動は"ホログラム・周波数パターン…"などとも表現される」→「全量子は他の量子と影響・共鳴しあっている」→「"一帯の周波数上昇、体内波動の上昇、意識上での特定波動・高波動への焦点合わせ・・・"などにより、高波動の情報が、他の対象に投影・転写される」→「共鳴が起き、"一帯・場・体内・意識・・・"の波動が上昇する」とのように波動上昇していきます。そして「波動原理の基礎」は「距離が近い物は密接に共鳴・関連しあう」「同時に非常に遠くの物とも関連しあう」「共通要素が多いと密接に関連しあう」「全体は有機的に連繋しあって存在している」「2つの対象間の波動的関連性や、他の対象に与える波動的影響力は、"距離×波動の強さ×共通要素"」という物です。また「高波動・良質な波動と共鳴すれば、波動は上昇する」「低波動・低質な波動と共鳴すれば、波動は低下する」「低波動の環境・言葉・意識・・・に囲まれていると、それらの波動が体内・意識に投影され、DNAに刻まれる」などの作用を齎し、「波動低下は、天災・カビ・病害虫・物質劣化・心身の病・酸化など様々な現象として顕在化」します。

この波動原理を敷衍して考えると、「波動の特性と同様に・近似して、物事や世の中も存在している」と言えるでしょう。例えば、物事は「波動に近似する本質性と、現代科学に近似する現象界での概念の、双方が両義的に存在する」「100か0かでない」「デジタル的でなくアナログ的に存在している」「各要素(構成する波動)に別れ、関係する要素と影響しあい、更に全体とも繋がっていて、状態が流動的に変化していく」「人間と人間以外の意識が全てを決している、未来の状態は意識で変わる」「論を展開する時は、波動の組み合わせで場が存在するのと同様に、個別論拠提示と統合的論述の必要がある」と言えます。

また「主たる基底状態・ホログラム・事実、イデアとしての過去・歴史・往古・原始や理想的・完全な状況」「従たる認識論・短期的現象・現状、意識による状態変化とブレ」「本来的には事物・生命は対等に存在しているが、現象界では概念の認識上の問題として、序列化がある程度必要になる」「本質性と現象界での概念の方向性が相反する場合、本質性が優位であるだろう」など、万事における認識法の進展・整理も進むでしょうし、今迄存在しなかった概念も沢山必要になります。そして「周辺地域や自国の事は先に解決すべき事項として大事」ですが、同時に「地球・世界全体も大事で、自分達の事」であり、しかし物事は「本人達の主体的な覚醒がなくては上手くいかない(能動的に高波動へ意識を合わせる)」物であり、そして「地球や世界全体の状況が改善して始めて上手くいっていると言える」でしょう。

斥力・半重力は「重力的・重し的な力学と対照的に、人・社会を固定観念や縛りから解放する方向性として存在している」と言えます。従来社会は「従来科学に近似して、重力の特性により、低層方向への固定化の力学が強かった」ですが、これからの社会は「波動原理のゼロ点・斥力に近似して、様々な縛りから解放され、社会構造が開放的になり、意識が上昇・覚醒する」と想定されます。先述のように「波動や量子水に見られる性質」を考えると「親和性・柔和性・柔軟性・融合的・共鳴的・相互的・・・」=「高波動の状態」「波動原理に沿った在り方」ですが、上述の「社会的硬直性や原理主義的思考法は低波動状態によって起きていた」と言えるでしょう。

神道の基礎概念に「穢れ・禊」がありますが、これは「人間・社会・環境は穢れやすい」「禊=浄化が必須」だからです。「穢れ」=「低意識が齎す低波動」+「低波動・低波動の物質(汚れた事物)」と言えますが、「穢れ」は「物質的な汚れ」より「低い意識・人為的」との意味合いに近く(罪は人為・汚れは現代物理的・穢れはこの中間)、正に「低意識が齎す低波動」「社会が陥っている問題点とその要因」を指していて、「金・利己主義・物質主義・権威・力・抑圧・不公正・不公平・理不尽さ・・・の横行・押し付け」は「穢れその物」です。そして「波動原理・量子論的に、穢れという物・概念は、科学的に存在する」「社会が穢れていると、短期的~超長期的に、甚大な悪影響を及ぼす」「拠って社会は穢れた物ではあってはならない」「穢れた社会構造は、禊・浄化・改善により解消して、常により良い社会を構築していかなくてはならない」といえます。

  最重要の観点は「普遍性」「普遍性という基軸」だと思います。個人の思考・感覚・意識と社会の中心軸において、これがあれば・重視されていれば、あまり大きな問題は起きなく、状況は改善してゆくでしょうし、良い物・素晴らしい物が沢山生まれてゆくと思います。波動的な科学を基に考えると「面白み・知的好奇心・遣り甲斐・必要性を感じる事柄は今までより遥かに多い」「それらが全て繋がっていく」ので、これらを次々と繋げていって「有意義な意識・行動・興味の拡大再生産」が永久的に続いていくでしょう。

「真の科学」の上では「人間は崇高な役割」=「個人~社会~地球・宇宙の波動上昇と全ての幸福」があり、本来は「善性」「関心・興味」「環境や社会の構築・改善」が連鎖していき、人はその中に「肯定的な意識・生き甲斐・充足感」「楽しみ・面白み・興味関心」を見出していく永続的循環が起きている筈です。しかし「従来科学の甚大・根本的な欠陥・誤認と、これに基く個人・社会の認識論」の影響により、「目的喪失・虚無感・アイデンティティークライシス」「利己主義・権威主義・物質的価値観万能主義」「低波動の意識の共鳴」という負の連鎖に陥って、社会・心が疲弊・荒廃していきました。人や社会は「生きる意味・生まれてきた理由・存在する意味」を探す物ですが、従来社会の多くの問題点は「積極的・肯定的意味はない、ただ存在するのみ」との結論へ導かせ、「狭い範囲の興味関心や独善的思考」「物質や欲望による心の隙間の穴埋め」へ向かわせがちで、「モノが沢山無くては、刺激が強い物に囲まれてなくては、欲望を次々叶えなくては充実感が無い、そればかりを求める」「やった者勝ち・言った者勝ち」という状況を産んでいました。

「競争論」とは必然的に「何らか"物質的価値観・上下関係志向・権威・力などの価値観・判断基準"の絶対化」「基準への隷属化」を招き、「競争的概念にそぐわない概念・事物(自然・草の根的な社会末端部の伝統や歴史・その他)の軽視・破壊・消滅化」を起こさせます。「競争」とは「自己と他の存在を区分け」「その上で、他より上回る」という概念であり、「己の側は"自己のみ・同じ属性のみ"と看做す」「"狭義的な自己を優先"=利己的」「物質的な判断基準・力的概念の信奉」「自然などを"他の存在・どうでもいい存在"と看做す(=他者・第三者的存在の軽視)」「自分には関係ないという思考(関係ない=共感能力低下=共鳴能力低下現象)」「硬直的思考・原理主義的思考("自論>対論・柔軟な実質思考"との固定観念)」を助長させる方向性を持っています。

「社会基盤=競争論」であると、「金・権威・注目度の獲得」が関心の中枢を占めるような思考様式が多くなります。これにより「社会全体に不利益になる事(汚職・暴力・コネ・ごり押し・中身の無い宣伝」等々がそこら中に横行して、「不正義・軽薄化・虚無化・不安化・厭世」など否定方向の力学を与え続けます。この概念は「際限なき破壊・欲望・闘争の繰り返し」を起こさせるだけであり、結局「競争論・物質的価値観が蔓延する社会では、真の幸福・改善・調和・理想の実現は絶対不可能」です。競争は「任意の時・場所において、競争に同意した人同士で行うだけで充分」であり、これを社会の機軸にするのは間違っています。永らく日本・世界はこれらの概念を機軸に廻り続けていて、そこでは「破壊性の横行」「調和の蔑ろ」が当たり前の事として起き続け、これが「心・社会・人生・世界・地球・自然環境・真の価値」を蝕み続けてきました。

また(項目6③マスコミや音楽の段にあるような)「時代性・新規性等の過大視」「普遍性・本質性の軽視」は「自然な姿より、金を掛けたコンクリート漬けの人工化」というような社会的力学の原動力となっていて、「どんどん金を産み、消費し、また金を産み、競いあい、変えていって、新しくなければ気が済まない」という果てしない社会状況へと追い立てています。「今まで人々が奥底に感じていた"理不尽さ・馬鹿馬鹿しさ・白け・虚しさ・やるせなさ・諦念・厭世・鬱屈・怒り"の多くは、これらに起因する」と言えます。

  「社会・経済・企業の歴史と現況」を見ると「企業寿命は25年50年と言われ、100年以上続く物は僅か(100年でも地球・人類の歴史から見れば僅か)」「近い将来世界同時デフォルト・日本政府デフォルト・大国やEUのデフォルト・世界大恐慌のいずれか、又は全てが高確率で起きると予想されている」「そうなると企業利益や、多少の経済変動(例えば原発稼動分)どころでない」「そうなると多くの富豪も貧民になったり、資産が激減する」「いつの時代も相続税・借金等で遺産は大幅に減る」「金銭・権力固執の大要因は遺産残しだが、上記理由で殆ど後代に資産継承されない」「仮に継承されても直系・長男への継承で、次男以下・女性には大して残らない、その子孫に継承されない」「拠って低い確立で資産継承できても、直系子孫以外は全員貧民化する」と客観的に言えます。そして「直系子孫も資産・地位維持に苦労する」「その固執の為に、利己的行動・思考を行う必要が出てくる」「意識も低めにする必要もある」とも言えます。

それでも尚「金銭・権力や遺産残しの固執に大きな意味がある。他を犠牲にしても行うべき」でしょうか。あらゆる要素を比較考量したならば「固執は非合理的」「多数がこれを行うと社会は悪化するのみ」と言えます。その上で、果たして「本当に子孫にそのような社会を残したい・残すべき」と言えるのでしょうか。人間・人類・社会は「何かしら意味ある事をしたい」「良い物を築きたい」「子孫達には良い社会・暮らしを残したい」と思う物ですが、「そのような社会が理想なのか?」という事です。とは言え「個人単位では資産が無い事の不安(生きていける程度の)」もあり、拠って「社会全体が金銭・権威等によらない物になる」以外に解決法は無いでしょう。

また利権に固執する人達がいたとして、「その利権の維持を社会が認めるならば、他のあらゆる利権を認めないと整合性が保たれない」「世の中が利権だらけになれば、あなた方にとっても、全体的には経済的損失の方が大きい」「若しあなたが利権を失ったとして、そのような世の中に暮らしていると、経済的損失は莫大になる」「理不尽さなどから来る、精神的ストレスは常に甚大である」「そのような世の中は、経済的にも社会的にも存続不可能で、精神的に厳しい」「それでも従来社会、そういう仕組みだったので仕方なかったが、これからの世の中は、金銭・経済に過度に依存しなくても、充分に暮らしていけるだけの"社会的基盤となる技術・科学原理・思想・体制"が築かれていく方向にあるのは、波動原理の意味合いからみて間違いない」「今後の社会はどう進もうとも、結局の所は"利権が存在し得る社会的基盤"自体がなくなっていくので、目的たる金銭・権威も得られなくなっていく」「どうせ無駄なら、元々気分的にも嫌な事なのだし、早めに止めた方がいい」となりますが、それでも尚且つ利権に執着したいでしょうか。

「自らの先々と、親族と、(自分の血を継いだ)子供や孫など、ごく少数の内輪の範囲」で考えても、そのような世の中になってくれた方が、「貧しくなる可能性はないし、病や不本意な事柄で落伍する可能性もないし、無駄にキツい労働(強度)に追われて人生が終わらなくて済むし、気楽だし、興味深い事や面白い事が沢山有りそうだし・・・」などメリットだらけで、デメリットは「(永続不能な)自己の優位状況の放棄」「従来のネガティブな思考法の放棄(否定的な関係性を他の対象に押し付ける事・対等性や相互性の拒否)」くらいの物です。大体「否定的な思考だらけという人はごく僅か(誰しも、自分の一部にそういう部分があるだけ)」「それも、好き好んでそういう事をやっている訳でもない」のだから、そんな状況になるなら願ったり適ったりで、別にそんな世の中を否定する意味もありません。結局「社会が現状方向に、物質主義・権威重視・破壊方向が過剰な状況が続いていく限り、これら根源的疑問・苦悩や悪影響は永遠に続く」と確定的に言え、「この方向から社会全体が完全脱却する」以外に、良い未来など有り得ようがないです。

人・集団は「自分・自分らだけが損をする」と思うと立場を固執しますが、「全ての立場・思想・論が公正な視点から判断される」「右⇔左・保守⇔革新・上⇔下・国内⇔海外諸国の全ての論が、それが不合理であれば、著しく脆弱化する」訳で、そして社会が上手くいって建設的に進むのであれば、大方が「それならば、まぁいいか」と受け入れると思われます。「311後の状況」「茹で蛙・赤信号みんなで渡れば怖くないとの表現」に端的に現れているように、「皆が不利益を蒙っているなら、それを齎す社会情勢を間違いを受忍してしまう」という心情がありますが、「一人だけ損するのは絶対拒否」「全体状況が変わる中で、自分だけ劣後するのは不安」というのも心情です。「何もかも変わり、良くなっていくという社会全般の感覚」「何処にどのような社会的欠陥・問題要因があったのか、如実に認識される世の中」「個々人に省みる事を促す雰囲気」「問題行動をし辛い世の中」「社会も周りの人も変わり、波動も上がり、固執すれば自分だけ取り残される状況」を前にして、「何年・何十年もずっと固執し続ける人がどれだけいるのか」という心理問題でもあり、「波動理論から認識すれば答えは自ずと明らか」「従来社会のどこを改善すべきか分かりやすく明示される」「明快で簡単で当たり前の事」です。また金・利権の固執は「自らの蓄財以外に、子・子孫への遺産残しが理由」ですが、「三代経てば資産は無くなる」「あの世に金は持っていけない」と言い、今後は「金があまり要らない」「金銭的価値感の低下」に向かいますが、結局の所「3代以上先の子孫は裕福でなくなる」訳で、「金で充足感が決まる社会に生きたいのか」「そのような社会を子孫に残したいのか」という問題は残り続け、「何の為に固執するのか意味不明・自ら疑問を感じる」との状況が年々深まります。更に「カルマ・転生・子孫への影響」を考えると「利権・金・権威への固執の無意味さ・弊害」を痛感し、そのような人は激減していくでしょう。

「非調和的な思考・状態」「社会の硬直化や各種の壁」は「日本の波動低下・程度の低下・疲弊」を引き起こし、これが「原発事故・事故後の状況・各種の社会的悪状況」を起こしました。先述の「社会上層部・中枢部(政官財その他の多く)」「原子力ムラ」「科学界ムラ」「マスコミ・テレビ・芸能・音楽etcのムラ」などに見られるように、「硬直性」「組織力学横行・組織論踏襲」「過剰同質性」「個の非確立」「自由思考の少なさ・類型的思考・視野狭窄」の度合いが高い界隈は「状況悪化・後退化」「金・利権・権威などへの固執」「閉鎖性・非建設的思考・非改善思考」「どん詰まり感」などが顕著で、どの業界・界隈を見てもこの相関関係は完全に一致しています。これは「これらの傾向が日本の最大・根本的な問題である事」「業界・界隈・組織のあり様による自家中毒的な悪化」を如実に示していて、更に「他の業界・界隈との相乗的な悪化」「日本上層部の在り様を硬直化」させています。

そして中でも「著しい男女格差(各種統計で常に先進国最下位・世界的にも下位)」は「社会の硬直化や各種の壁の最大要因」であり、即ち「原発事故を含めた各種悪状況の最大の社会的遠因」です。当然の事ながら「在るべき状況や高波動の社会」と「男女格差・他の全ての理不尽な格差」は完全に背反し、「自己集団に優位な状況の押し付け」とは「相手集団への独善的思考・行動の強要」「相手集団の存在自体の非受容」で、「特定集団の優位状況」とは「格差その物」であり、「このような意識・状態が蔓延るだけでも天災や各種状況は悪化する」ので「理不尽な全格差の是正」が必須です。各種事柄が理不尽かどうかは個別判断が必要で、理不尽でない差も有り得ますが(社会は必然的に段階的発展があり、相互性も必要)、「論拠の無い優越思想・独善性・利己主義・権威主義」に基く「男女格差」「日本に先住するヤマト民族・琉球民族・アイヌ(その他先住少数民族)の間の格差」は「明白に理不尽その物」です。

例えば「母性=愛情・優しさ」「女性性は共感脳が発達している」と言われ、「豊饒な実りを齎す母なる大地」「地母神」と言う表現・言葉があります。これは波動的に考えると「人・生命・自然・大地・地球に対して、調和的・愛のある波動を発している」となり、それは高波動となって、「健康・人間関係・社会の改善」「有用生物の増殖」「自然環境の改善・浄化」「災害抑制・穏やかな環境にする」「世界・地球の状況の安定化・向上」を齎します。世界は永らく男性の圧倒的優位で、「女性の存在・権利は、本来の人口比(50/50・或いは51/49)を、大いに逸脱した分しか認められていない」という状況が続いてきました。あらゆる「理不尽な格差」は、波動原理からみると「社会・世界・地球の大幅な波動低下」を齎し、「精神状態・人間関係・社会状況の歪な状態」「自然環境悪化」「災害増加」など「あらゆる不利益・不幸・災厄の拡大」を招きます。このような波動的な状況を是正するには、その一つとして「あらゆる理不尽な格差の是正」が絶対に不可欠です。それ無しには「いつまでも人類・社会は、自らが作り出した不幸に苛まれる」でしょう。例えば、波動原理に沿って考えれば「浜岡を停止したから、3連動地震や富士山噴火がまだ起こらずに済んでいる可能性がある」と言えますし、しかしカルマは溜まっているので、まだ日本が破壊されるような危機が起きる可能性は充分にあります。

  そして「有象無象のどうでもいい事」に終始したり、「何かを破壊して利己的・虚無的に何かを得ようとする観念自体」が減少していき、「不合理さや理不尽さに割かれてしまう時間・思考・労力・面倒」も減少していき、これらは最終的には無くなるでしょう。どう紆余曲折しても「悪も善も、もう隠れるところなくなるぞ(日月神示)」という方向に変わりないので、20~30年単位で見れば、そのような行動自体が殆ど表に出て来なくなるでしょう。云わば「現在は原始的社会レベルの最終段階にある」と言え、「波動原理の存在と意味合い」「この因果律が未来永劫、宇宙の全ての場所で不変だと認識される」「人々の認識論の形成のされ方」を考えると、「一旦レベルが大きく上昇すると、もう大きく低下する事は無い」と考えられます。そして「人間が本来的に望んでいた"善性が主導する世の中""良い世の中を実現化への貢献"」への流れが加速、、何時の日にか、遂にはそれが実現する日が訪れます。

「あらゆる立場上・体面・危害などの利得損害や上下関係」⇔「善性・壁を設けない思考・集合的叡智」という方向性において、従来では前者に引き摺られる傾向がありましたが、「宇宙全てを決定付ける因果律の原理」「その存在と意味合い」が認識されれば「後者が上回る傾向に導かれる」のは当然で、また人は「無意味な事より意味がある事」「生きる意味を感じ、社会を良くしたい」と根本的に望む物であり、「それが叶えられる世の中」になれば「趨勢が前者に戻る事は無い」でしょう。そして「遅かれ早かれほぼ全ての人が分かる」ようになり「急速に人々も社会も意識が向上する」でしょう。

今までは「科学原理と作用と因果律を知らなかった」訳ですが、「皆が知った後は、違うように生きれると知った後は、今までと違っていても社会が成立すると知った後は、そして物事を俯瞰して見れるようになった後は」、人々はどう考えるようになるでしょうか。どうせなら「永続的ではない有象無象」「刹那的存在のカネ・モノ・コト」「子孫・後裔に残る訳でもない金・資産」「力だの権威だの地位だの体面だの」「誰かにとって都合よい考え方」に依って生きるより、「普遍的なコト」「自分にも・周囲にも・他の人にも・社会にも・子孫にも・自然環境にも悪影響を与えない物」「精神性・内面性」の近くに在る方がいいな、と思うようになるでしょう。そして、若し多くの人がそうなれば、その方が「自分のとっても、他の人にとっても、嫌な思いをせずに、嫌な事をせずに済む」「不要な緊張・精神的磨り減りがなくなる」「ある意味緩くて、でも深くて」であり、「社会が無理なく発展」「他所・後代への悪影響も残さない」「最大多数の最大幸福」「自分にも・周囲にも・他の人にも・子孫にも・自然にとっても幸せ」です。

また従来は「赤ちゃんの高波動状態から、年齢と共に波動低下・低意識に同化」していきましたが、特に「波動がまだ高く、感受性が高く、思考が柔軟な子供・未成年世代」の変化が真っ先に現れ、世の中が良い方向に塗り変わっていくでしょう。「思考・感覚の可塑性・柔軟性が高い」時期の子供達は「あらゆる知識分野や周辺環境」を「統合的に認識しながら物心が形成されていく」ので、「人文系・理数系ともに、勉強に際して従来よりも分かりが良くなる」でしょう。これは初期認識から「幾何学的な形態は、数学上の○○は、こういう物質は、歴史・伝統上の○×は、言葉・文字・想いは・・・このような意味を持ち、こういう効果を生じ、こういうふうに影響していき、森羅万象を形作っていく」という状態で成長していくので、「あらゆる事物を有機的に連繋して認識」「事物の意味合い・性質・立ち位置」「概念の把握(数学的・空間認識など)」を獲得し易いからです。従来のように「波動低下・硬直化」「非感覚・非論理」「非調和性」「過度な物質性・暴力性」に染まらずに、成長過程で「高波動を持続し、高次な意識・認識を獲得」すれば「個人・社会において、このような方向性が形成されていく」のは必須です。

 時代を経ると、端的に「覚醒後は、一定レベル以下の思考行動を、愚かしい・虚しい・意味ないと感じる」「中身が無い物に興味がなくなる」ようになるでしょう。これは別に「仙人じみた感じになる」などというのでもなく、例えば「普通に娯楽も享楽も好きだけど、でも一定レベル以下の事には興味ない」「関心が移動する」という具合でしょう。「量子・波動が穢れる」→「DNA・魂的な物・自らその物が物理的に穢れる」→「転生・子孫・周囲に後々、重大問題が生じる可能性が高くなる」という認識と、「積極的につまらない事に興味を持つ」という感覚は両立しません。そしてこのような感覚においては、社会に対して「金銭・物質⇔精神・自然」「力・権威⇔調和・共存」のどちらを望むのかは自ずと明白で、後者の方向を見据えながら、社会・環境・心を回復させていくでしょう。

「自らの思考・自らの言った事・自らの行動は、量子・波動上に記憶される」「それらは量子上・波動上の情報として、ずっとついて回る」「それはずっと、少しずつ、何らかの影響を及ぼし続ける」「その影響とは、云わば因果応報的で、どのような現象として現れるにしろ、全ての事は自らや周囲に返ってくる」というのが、科学的原理によって、宇宙のあらゆる場所で起こされる効果・現象です。

だから「真理から明らかにずれた事を、悪意もこめて言った」として、「その言葉・行動は自らの波動に記憶される」「その穢れは自らの一部になる」ので、「言い捨て・書き捨て・行い捨て」という事はできません。どんなに「強引に誰かを言い包めた」「押さえ付けたと」「社会に誤った政策を実現させた」としても、それが真理とずれているならば、「それは波動的には、間違った物として、低質な波動・情報として記憶される」だけです。何をした所で「否定的なことを、言って・やって・思って、当座の精神的満足を得た」ことに過ぎず、然しながら「引き換えとして、波動にやった事が記録される」ので、全然割に合いません。

そして更に「真理が社会的中心軸になった時代以降の世において、覚醒した状態にある後代の人達に、客観的・俯瞰的に判断される」「後代から白い目で見られる、愚かだと思われる、どうしようもない思考だと看做される」という物でしかありません。その種の行動は結局の所、「自己・周囲、同質の思考・イデオロギーに対して、長い目で見れば、自縄自縛の行為している」「その時期になるまで、自らカルマを溜め続けている」「何れ何倍にもなって返ってくる行為をしている」ことにしか過ぎず、「後世になれば、それら全ては反面教師として見られる」「こういうことは良くないね、という考慮材料とされる」だけです。それは「世界中の歴史的事象の幾つかへの、現代人の視線と似ていて、更に真理を通した透徹した視線で、ブレがない物」でしょう。例え今、何を言っても、無理に何かを押し通しても、「全ては未来の高い意識の人々、真理に沿った人々に判断される」だけで、更に「意識体(魂・目には見えない存在)」「宇宙人(若しいるならば)」「真理・普遍性」からも、同じように判断をされています。拠って「どんな言質も誤魔化しは不可能であり、様々な存在と歴史と真理から、全ての欺瞞は見透かされているだけ」「誠実である事が大前提」です。

そのような時代になれば「低質な思考・言動は、応分に自らの身に降りかかり、戻って来る」というように帰結され、その後も量子・波動・DNAに情報として残ったままとなります。そこに刻まれたからこそ、人は過去を思い出します。そして「そのように低下してしまった波動を向上させる」には、「それが早かろうが遅かろうが、結局は自らが向上していく、心底・根源的に考え方を改めていく、という事でしか、実現はできない」のであり、「時期は遅くても波動向上は可能だが、嘘・虚飾・欺瞞を伴いながらの向上は不可能」です。結局の所、普遍的な物・巨視的な視点から言えば「何を誤魔化しても、程度が低い物は低い」のであり、そして「誰しも内心、そんな事は分かってる」のだから、「付け焼刃で、心が伴ってない改善行為では意味がない」というのは分かろうという物です。

  また現代社会には、あらゆる思想・イデオロギーの保持者が考える所の「嘘・欺瞞・不正義」があり、それらは実際ほぼ全てが「大きな問題点を有した物」でしょう。ただ「思想・イデオロギー」により「主として問題だと思う分野」が違うだけです。しかし「波動原理の一般化以後」の時代は、「左右・保守革新・その他あらゆる思想の持ち主が問題だと思う点」について、「そのような問題点は、後の時代において、罷り通らなくなる・もう通じなくなる」ので、しかも「そもそも、それが通ってしまう社会的背景自体が消滅する」ので、何も問題は無い筈です。そもそも問題点は「それが通ってしまう社会的背景・社会的構造」自体にあるのであって、その根本が修正されないと、単に顕在的現象である「左右・保守革新・その他あらゆる思想の持ち主が問題だと思う点」も、根本的な修正がされる訳がありません。「問題点が通ってしまう社会的背景・社会的構造自体が消滅」すれば、「どんな問題だろうと、永続的に・長期的に残るという事は有り得ない」「逐次修正・改善され、問題点が持続されない社会的構造になる」のは必然です。

そして「問題点が通ってしまう社会的背景・社会的構造自体が消滅」するような世の中になるには、一般の認識論の激変が必要であり、それは【「波動原理の一般的認知」と、これによる「"因果応報・善因善果・悪因悪果の法則"の根本的原理の認知(自己・周辺・将来世代・国や世界の未来・転生後への悪影響)」「社会的力学の修正による人々の行動原理の変化」「金・物質・利己・権威からの離脱」という社会的認識論の変化】以外では、はっきりと不可能だと思われます。何故なら「一般的認識論と社会的構造を変化させる」には「尋常ならざる、普通では想像もできないような、何かが齎される・起きることが必要」ですが、それでは「そのようなことを齎す・起こす物は、他にはどういう物が可能性として考えられるか?」と考えてみると、やはりそんな物は存在しません。他に方法論が全く存在しないので、即ち「波動原理の一般的認知による、認識論の変化」以外に、「問題点が通ってしまう社会的背景・社会的構造自体が消滅」「社会が大きく改善していく」「まともな世の中になっていく」ことは有り得ないです。

  従来ありがちだった「統一的規制や美的感覚が無い乱雑な開発」「けばけばしい・やたらと人工的な光景・観光地」について、当然都会は「人工的な物を極め、賞賛・観光する」のがあって然るべきで、「人工を極めた物は素晴らしい」ですが、「人工物に相応しい場所」もある訳で、しかし従来は「何処も彼処も同じようにする」「自然環境の過度な人工化」「都市計画・ゾーニングの無さ」「過剰な資本主義的概念・金銭主義の暴走」「自然を壊したり・税金を浪費するほど自己利益になる」という状況が横行し、これに歯止めが利かず、例えば「堰堤の乱造などで、自然河川が殆ど存在しない非常に異常な状況」へと突き進んでいました。そして「自然本来の環境、古くからの里山の光景を出来るだけ残す」「そこに人の手を適宜加えて、利便性向上や、自然と人間の両立を図る」という観念は非常に薄い物がありました。「観光=光を観る」にとり、「自然界の高波動がもたらす"見えない光"を観る・浴びる」「心身を洗う」のは非常に大切な事です。しかし物質的価値観万能主義が横行した従来社会では、都会地域以外の観光地でさえ低波動の環境・風景で溢れ、「高波動の光を観る」事はあまり出来ませんでした。

元々日本には、山紫水明と呼ぶに相応しい自然の美しさ・豊かな変化があり、、先進諸国に比べて国土における森林域の割合は非常に高いです。これは「温暖で多湿」「地形が複雑で、開発し難い地域が多い」という理由の他に、「縄文時代やそれ以前からの、自然との共生思想」「古神道や原初的感覚に基く、八百万の神々という概念・感覚」が大きく影響していると言われてきました。しかし近年、「自然との共生観」は蔑ろにされ、各地で散々に誤った環境破壊が繰り返されてきました。日本は先進諸国に比べて「税支出中の公共事業の割合」が突出して高く、これは「欧米より近代化時期が遅かった」「複雑な地形など、経費増加の基礎条件が多い」との理由もありますが、そもそもが「利権・ばら撒き」「事業が必要かどうかを、費用対効果、地域の基幹的インフラかなど、客観的・大局的・論理的判断によらず、力関係・情実などで判断する」という事が多かったからであり、これは長年指摘されてきた「日本型の公共事業システムの根本的問題」です。この結果が日本中での「コンクリート護岸・堰堤(有効性に疑義がもたれている)」「無駄な・需要の低い箱物・橋・工業団地・・・」を始めとした異様な光景です。これは先進諸国に比して、日本に特徴的に見られる国土における光景です。

しかし「自然と共生して、自然を生かしながら、開発に適した地域において、真に有効な事業を、最善の形で行う」というのは、やろうと思えば出来る筈であり、また「自然の修復・自然環境改善も見据えた、自然と人間との共存の為のインフラ作り」ももっと行えるはずです。これで充分に「地域の経済・雇用も支えながらの公共事業施行」を果たせて、「持続可能な税金支出構造」なので「公共事業減少→地域経済壊滅」という「単純・低レベルな地域社会構造構築からの脱却」「税収・税支出のバランス化による基礎的経済条件の改善」ができ、「持続可能な環境・社会構造」であるので「持続可能な地域社会」の構築ができます。これは単に「当たり前の事をする」だけの事ですが、従来はそれが行われてこなかったのであり、それは「金・物質・利権・権威への従属」「空気・力学・ムラの論理第一主義」「俯瞰的・巨視的視点の欠如」「真に何が大事かを考えるのをしてこなかった事」「自然との共生や精神性といった観念の蔑ろ」による結果です。これらは「元々は日本人の精神性は高いレベルにあった」「しかしいつの頃からか、それが大幅に低下した」「または、良くない状態を変える為に必要な精神性・気概・気力を失った」という事を示しているのでしょう。

これからは「自然環境」「歴史・伝統・伝承・風習」「信仰・遺跡」「地形・地質」・・・等々への「個人的・社会的な関心・感じ方・意味合い・位置付け」は劇的に変わり、そういう物が大事になるでしょう。自然豊かな場所への観光に際しても、「金・物質至上主義の欠片」ような物は必要と思わなくなる、あってほしくないと思うようになるでしょう。例えば「散歩・ポタリング・ドライブで地域を周り、地形・地質・植生を観察しながら、先々の神社へお参り、折を見て片付け」「前後に色々と調べる」として、「自身~周囲の人~地域~日本・国~世界・地球~宇宙」へと繋がり、同好の人は次々と増えていくでしょうし、そして「それらの思考・行動」だけで「広域の波動向上に幾ばくか貢献」していて、「破壊性・暴走・弱肉強食とは逆方向」「建設的・親和的・調和的な物」です。

今までにあまりに多くの事を失ってきましたが、例えばここ10~20年だけでも「不要の工事」「必要以上の人工化」「開発すべきでない場所の開発」により、どれだけ多くの「美しい自然・里山・山林・森林・湿原・河川・海域」「波動的な重要地域」が破壊されてきたか分かりません。「神社・神域・祭祀跡・重要遺跡・古墳」は「波動が情報を時間を超越して記憶する効果」「祭祀用具・遺物の波動効果」により「地域・社会・国土・世界・地球の波動維持・上昇に、常に大きな役割を果たしている」という重要な役割を有していますが、「明治以来の膨大な神社合祀と、重要遺跡・古墳の消滅」の上に、近年の「神社の神域や重要遺跡の破壊・神社の遷座」という状況が積み重なっています。「これにより近代以降、また近年、波動の劇的な低下・悪質化と、国土・社会の弱体化を招いた」のは間違いありません。

今後波動原理が一般的に認知され、この事実を認識すると心底愕然とするでしょうが、その時に「今後はもう行ってはならない・修復しなくてはならない」と思うでしょうし、それが困難な経験から得た社会的合意になると思われます。「現代科学・物・金・権威=破壊的」⇔「建設的・修復的・共存的=自然・精神・心・感覚・非物質的価値観」という関係性において、「現代社会の基軸・最重要事項たる前者にとり不必要」「金や物や科学に無関係」と切って捨てられている「自然・精神・心・感覚・非物質的価値観」こそが、最も重要な存在・価値観であるとなっていくでしょう。それはオセロゲームさながらに全てが逆転していき、そして在るべき状態に正常化していきます。

  今後の時代は「急速に波動原理・理論に沿った世の中になっていく」と言えますが、これは波動が「全ての根本・基礎・中心に位置する」「意識も含め森羅万象に関係する、あらゆる事は波動と切り離して考える事はできない」「強烈な因果律を持っている、数十年後でも数百年後でも確実に因果が返ってくる(遅効性でも確実に因果は巡っている)」からです。そして(先述のように)「波動は空気にように存在」「空気のように重要な役割を果たしている」とのように存在している以上、「一般に認識された絶対的科学原理の効果・影響を押し留める事は不可能」「それは空気の効果・影響を無くさせる行動と同レベルで、全く無意味・無効果」です。「全ての大河は、どのように経由しても、結局は海に至る」のと同様に「宇宙は、その最重要の科学原理に沿って存在する」のであり、「宇宙の最重要科学原理=波動」である以上、早晩に「波動が中心軸・基盤となるのは必定の帰結」です。そして社会は上記各理由により「無意味・空虚な権威・常識に囚われなくなる」「調和・妥当性を志向する」ようになります。波動は「ごく当たり前の存在・認識の基礎中の基礎」となり、その上で「個人個人の志向・感覚の違い」が存在、更に「波動=最上位構造」「波動的に良い状態=調和状態」であるので、「個人個人の多様性があり、且つ全体が調和している状態」「個が確立されていて、連帯しあっている」となっていくでしょう。

表のメディア社会と違う所で、世界中で話題になっている「ディスクロジャー(情報開示)」「アセンション(上昇)≠量子的飛躍(quantum leap・非連続の飛躍)」とは「波動原理や超科学全般の原理・現象・技術の情報開示」「その一般化による人類の全体意識向上・社会改善」を指しています。「非連続の飛躍」とは正に今後起きる事を示した言葉で、通常の「問題の改善度に比例した、比例的・漸進的・線形的な社会進化」に比べ、「波動原理一般化・技術や認識の進化」は「飛躍的・非線形的な覚醒・発展・正常化」を齎します。

今後更に「従来科学理論と異なる現象・放射能除去事例の報告例」が増加しますが、それらは「波動理論を唱える人達・幾つかのサイトの論と同一線上で起きた・その理論で説明できる」物でしょう。そしてどの時点かにおいて「従来科学と全く異なり、効果が即効的・劇的で、視認性・視覚効果の著しい物・手法(例えばUFO)」が公然になるでしょうが、それは別に「科学的知見に沿って、無理のない考えをしていくと、そう考えられる」だけで、言ってみれば自然な成り行きでしょう。あまりの事に呆然とするでしょうが、それでも「ただ内面を見つめて、素直に思考・感覚をしていけばいい」だけの事でしょう。

これらや「効果的手法・危険物質など多数の情報」は調べれば知る事・認識を得る事ができ、「社会的共有により当該認識・事物は普及・淘汰」していきますが、これは「少しの意識転換で事態改善していく」事を示し、「最大の健康法と除染法と社会の改善法は、このような社会全体の意識改革」です。波動も社会も「大概の問題の根本は共通している」のでしょうし、先述の全ての問題も「同一の根っこから発した本質的に同種の事柄」であり、そして「物事は、基本的在り方・対峙の仕方次第で極度に変わる」物なので、ここをしっかり見て変えない事には何も良くならなく、この基本軸が一番大事な事なのでしょう。

ようやく地球の人類は「波動原理の存在と基本的意味」「因果律が未来永劫、全宇宙で不変普遍である事」を認識して、「これを基にした全認識論の再形成」が起き、「全体の意識向上、大きく覚醒する段階」に達します。気が遠くなるような時間と紆余曲折を経て、遂にその入り口が見えてきました。

  一人になった時、人は「"集団・組織・群れにおける世間的常識・関心・考え方"の比重が自己内で低下する、それらと距離を置く」「内省的になる、精神的な物に関心が向く」「自己や社会の誤りの部分に気付く」ようになりやすいです。現代の政治・企業社会などは、大局的観点では間違っていても、自己保身の意識が先行、まともに省みずに正当化して、それを押し通す事が多いです。でも一人になった時、多くの人はそういうのから距離を置き、「本当はこうあるべきだ」と考えたりします、同時に「仕方がない・一人じゃ変えられない・従属するしかない・・・」などと思いながら。

現在社会は「個人の思考・感覚・精神」は蔑ろ、それを抜きに「ただ集団ありき・組織ありき」「空気ありき・力学ありき」という方向に偏重しているから、そういう集団思考が積もり積もって「間違った方向に捻じ曲がり、硬直的になり、自己修正する事ができない」「自分の思考で考えられない、自分の感性で感じられない」「問題のありかにさえ気付かない」「指摘・改善しようとすると、ムラや従属者に排除・攻撃される」というようになっています。

全く愚かしい自縄自縛をしていて、集団的に破綻方向へ進んでいっています。そしてこれを後押ししているのが「金・権威・力」「空気優先主義・同調圧力」「非調和的思考」などです。「個人個人でみれば、個人単位においては、もっと高みにいる」のであり、「個人を大事にして、個人同士が相互に連帯している」ようになれば、このような状況は早期に変わるでしょう。

従来社会は「人間の独裁、自然・他の生命は蔑ろ」「金・物質第一主義」「権威と従属・上下関係・力」「空気・斉一性」「思考・論理と感覚・精神・心の抑圧」「ムラ・因習」「硬直性・閉鎖性」「非実質性(左記傾向により非実質的な物が横行)」という方向性にありました。

波動原理の一般化以後は、永久に「人間同士と、人間と自然・生命の、対等な関係」「相互尊重」「調和性」「精神性優先志向」「自由な思考・感覚・心」「個人性・内面の確立」「柔軟性・開放性」「実質性(左記傾向により実質や真理を重視)」という機軸に沿った社会になります。

人は自分だけと思ったり、金や寿命が無くなったら・終わったら何もかも終わりと思い、恐怖心から自己保存・自己保身に走り、それが社会で流れとなって行きます。でもあらゆる物に「不老不死である魂(意識・霊性・神的な物)」があって、自分もその一部だと思えば、そういう物も無くなり、憑き物が取れたように気楽になっていくでしょう。そして全員が、全ての生命・物・物事が同じと思うことで、森羅万象と共存可能で、楽でありつつ覚醒された世の中になると思います。

以上、「波動・量子的性質の真実の認知」は「科学・技術・認識論・教育・衣食住・人々の日常的な思考行動・その他社会の全て」に「未曾有の影響・衝撃を与える事は間違いない」、そして「全てが劇的に変化する」と言えます。

故に「一旦広範に認知・普及され始めると流れは加速し、何を以ってしても止まらなく、全ての人が知るようになり、早期に社会認識は一変する」「閾値を越えると全体状況が急変し、有象無象の阻害要因は無効化して、旧来的価値基準・負の影響力・明白に非調和的な思想は過去の遺物と化していく」「多くの常識・認識論が崩壊し、旧弊の中枢構造・論・論者の説得力が無くなる。特に311以後の言動は考慮材料となり、因果応報的に反面教師と看做されていく」「固定観念が崩れ、相対的思考が増して、以前の状況を俯瞰的・客観的に見れるようになる」「権威・力・金で維持されてきた物が価値低下して、独善や粗暴なやり方が通らなくなり、対等な視点が波動論で重みが増して社会の中心軸となる(旧弊で縛れなくなり、そこに依拠すると立場が弱くなる。対等な議論では旧来思考の劣位は明確である)」「食品選び・購買、自身・周辺・子供の能力向上、企業・商材の製造過程・広告など、常に波動が考慮要素になる社会趨勢化が必至」「守旧派も自身・家族・子孫に無駄にカルマを積みたくなく、飲食物を気にするなどにより気持ちが離れる。強弁しても低波動な事に変わりなく、離脱者続出で梯子を外される」「どのような経過を辿るにしろ旧弊・利権の先細りや、将来的な廃絶は間違いなく、金が万能の社会の終焉も見えるので、執着する意味・動機がなくなる。寧ろ波動原理を考えると離れたくなる」「旧弊⇔波動原理上の事物同士の、"波動・能力・健康への影響度、普遍性・合理性・経済性の差"を目の当たりにする」「波動原理に沿って考えると、従来社会の問題点が、どこにどのような問題があったのかが如実に分かる」「特に子供・未成年・将来世代は真の科学と、その意味・波及範囲を早期吸収して基礎認識化する。事の性質から因習に囚われ難くなり、普遍的感覚を重視し覚醒していく。囚われている人は旧勢力化していく」「これらは時間経過と共に比例的・不可逆的に明確化する」という点です。そして「多くの史実や過去の風潮への現代の認識論」と同様に、後代の人達は「近年~現代の多くの風潮・言動を、今はこうでなくて良かったと思う」のでしょう。現在は「その大転換期の直前」で、如何に「この閾値まで早期に持っていくか」が重要です。

日本の近現代の状況
・「日本の社会上層部」は明治維新後・戦後、「個の抑制・統制主義・同質化」を「国家的基軸」とした。
 これは永年の末に次の現象・力学・結果を招いた。
 (これらは"個人・社会のある側面・要素"であって、全て丸写しというのは少ない)】

・「個の抑制」=「個人個人の思考・感覚・行動の広がりを抑制する事」なので
 「国家・社会・政官財・マスコミ・大組織(上層部・中枢)」という物自体が、
 常に「自由思考・感覚の無さ、思考・感覚の矮小化と類型化という方向性」への
 「方向付けの圧力として存在」「国体自体がそのように存在する」ようになった。
・この「国・社会自体の前提・お約束・空気のような物」は
 常に巨大な圧力として「集団・組織・個人・社会隅々」に対してのしかかり、
 「あらゆる時・場において、思考・感覚・概念・在り方を規定・規制」していった。
・「人間は思考・行動に際し、何らかの軸を有している」ものだが
 「個や自由思考・感覚の抑制」をしたので「代替の軸」として
 「主流の風潮・論」「権威・ブランド」「金・力・社会的力学」
 「世間・他人」「他律的基準」を軸とする風潮をもたらした。
・そして「自律的」「発展的・創造的・建設的」「革新的」思考・感覚を封じさせた。

・「個・個々人より集団の優先」「集団で存在すべき」という思考・方向に誘導された。
・「集団=統制的に思考し、個・個別意見を抑える」「集団とはそういう物だ」
 という「思考様式・捉え方・存在形態」が奥底に深く刷り込まれた。
・「個の抑制」は「集団思考の強化」「既存論と異なる思考の排除」
 「既存常識・慣習の踏襲」「横並び志向」に働くので、上記の力学を更に強化させた。
・これら「組織論の浸透・強化」「組織の権威化」により
 「組織論・集団の力学」が「社会の最上位の存在・力学・空気」と化した。
・また「各組織の上位にある社会上層部(の組織・思考・概念)の絶対化」
 「組織内外の階層化・格差・ヒエラルキーの強化」が強まった。
・これにより組織論が「社会の隅々や人々の潜在的思考に浸透」して
 「人々の公共的な思考("政治・会社について"など、個人以外の物について捉え方・思考)」
 「政治」「会社」「各組織」についての捉え方が「先ず組織・組織論ありき」になり、
 「個」「個々の人間」を「社会・組織の駒・歯車」「モノ的」としか捉えなくなっていった。

・「集団・組織・社会上層部」は、「自分らに資する物」「自らを正当化する物」である
 「組織論・権威主義」「権威付け」という方向性を志向した。
 また「実質による序列」「序列の参考」ではなく
 「恣意的基準による序列」「序列の絶対化」を志向した。
・同時に「自らの存在価値」に反する「個」「個々人の尊重・調和」への排除意識を持ち続けた。
・権威とは「中身・実質」より「外見・イメージ」であるので
 「お上」「政官財」「学歴」「ブランド」など、権威と看做された対象は
 権威自体が一人歩きして、それに従属する価値観・隷属意識も社会広範に量産した。
・「権威従属志向」にとり「世界的権威・海外の権威・欧米の権威」は
 「より上位の権威」「最高の他律的基準」なので、これを「最大価値・絶対的基準」と看做す。
・これにより「欧米・欧米の事物」を上位概念と看做し、
 「国際的ヒエラルキーに自ら同調・従属」した。
・権威主義思考は「自らの属する物を優位と看做す」「他より優位に立とうとする思考」なので、
 「欧米に非従属的」である事も多いが、「権威自体を重視しない」という思考法は持たない。
・仮に「自然発生的な権威や賞賛・草の根的な崇敬や序列」
 「権威付けられた・宣撫された・示威的な権威」があるとして、権威主義者は後者を志向する。
・力とは「権威に直結」「組織維持・強化の力学」なので、
 「力の信奉」と「これらの志向」は一体的・表裏一体である。
・権威・組織力学を押し通すには「論理・感覚(草の根感覚)」は邪魔なので、これらを軽視・排除、
 「ごり押し」「力・金・権力など使える物は使う」を良しとして
 「非論理・非感覚」「物質的価値観」と親和感を持つ。

・この循環で「集団・組織・社会上層部」が非常に強い存在となったので、
 「組織論・権威主義」が横行して、「個」「個々人の尊重・調和」が排除された。
・個人の内面においての「内的な他者(自己や自論を客観視する側面」たる部分が減少、
 「客観性の減少」「議論・ディベートの下手さに象徴される論理思考能力低下」を招いた。
・また「柔軟な感覚を持つ人・組織」「創造的思考能力」
 「思考・感覚の奥行き・広がり」も減少させた。
・この状況下で「硬直的な思考・組織」「金太郎飴のような思考様式」
 「出る杭は打たれる的な感覚」が蔓延・拡大再生産し続け、
 「社会・思考の同質化傾向・同調圧力」
 「多様性低下・多様化への進行の遅れ」に益々に拍車をかけた。 
・これらと「組織論横行」があいまって
 「社会の硬直化」「改革改善の遅れ・停滞化・後退化」が進行した。
・「上述・後述傾向を持たない人」も多数いるが、
 結局は「社会の雰囲気・流れの中で埋没・流される」という状況が続き、
 「ぬるま湯・茹で蛙的に停滞状況のみが進行」していった。

・このような社会状況は、社会広範に「しょうがない」「諦め・白け」「無関心」
 「鬱屈状態・どん詰まり感」という意識を助長させ、更に意識を刷り込ませた。
・しかし協調性・同質性は賞賛されるので、
 「権威・組織・常識・流行・他者基準への従属意識」が強くなった。
・「"個の確立・尊重"が大事」との意識は、「公共意識低下」
 「狭い私的興味範囲」「利己的思考」の助長へと逆方向へ変質していった。
・これらは「自律思考・自由思考」「社会意識」「改善意識・疑義を感じる意識」を著しく阻害、
 「隷属意識」「横並び意識」「付和雷同」「ロボット化」「空洞化」「空虚化」が進行した。

・上記各事項は「物質的価値観」「利己主義」のどちらかと(或いは両方と)親和性があるので、
 「経済至上主義」「金銭主義・欲得」を助長させ
 「資本主義の否定的側面」による「各種悪状況の進展・暴走を招く力学」とならさしめた。
・これにより「自然環境の軽視」が助長され、「自然破壊・乱開発・過度な人工化」が横行した。
・「マスコミ・テレビ・芸能界」「政官財・業界組織」等では、「物質主義・金銭主義」「功利主義」
 「空虚化・軽薄化」「格差志向・序列志向」「権威志向」「ムラ化」「権益集団化」が進行した。

・「硬直的・原理主義的思考」は「政官・論壇・マスコミ・社会」に次のような現象を齎した。
 (例示でテレビ・マスコミ業界が多いのは、この界隈で特に顕在化した為)
・建前と本音「政治官僚用語の連発と非実践・糊塗、言葉と実際の乖離、政官の不毛さに直結」
・教条主義「左・右・○○ならこう考える・言うべきの様な。非実証的で認識・状況が進展しない」
・強度に固定化された属性・様式「20~30代の大政党上層部はまずいない、いても2世政治家だけ
そもそも2世政治家だらけ。新卒以外は大企業への就職の門戸は厳しい。様々な壁により、
大企業・親方日の丸・既得権側でない組織は参入し難い。など、社会の中核部分の属性・思考は
非常に一面的・類型的、参入排除の不文律がある。世の中には老若男女いるので、
多様な意見が反映される社会で、誰でも参入可能なら、各分野に老若男女・様々なタイプが
いるようになるのが自然、だが排他性・優位思想・独善性・斉一性志向ゆえ、これを否定する」
・非実際性「大組織・親方日の丸思考に端的に見られる、例えば"NHK⇔BBCなど先進諸国の
 公的放送のサイト"の内容・充実度・スタイリッシュさ・使い易さ・その他あらゆる差」
・力学・空気の横行「民放の報道・サイト⇔海外民放の報道・サイトの知的レベル差。NHKは化石的
 民放は資本主義的な物に偏向。在り方等の自律思考がなく、ムラの力学・風潮ばかり顕在化」
・公的存在である事を無視「先進諸国のマスコミのサイトは、殆どが過去記事を閲覧できる。
 これは記事は社会の重要資料・公的位置付けの物として、社会的責任を全うする立場による。
 だが日本では一定期間後に削除、課金制度となか、制度が無くても過去記事は閲覧できない。
 報道・公器・社会その物に対する思考・深慮が無く、公的感覚も無いが、私的権利を主張する。
 閉鎖的・業界的感覚や拝金感覚が横行、視野狭窄した典型的ムラ感覚の一端の事例である。
 当事例のみならず、同感覚により、社会は根源的部分に目に見えぬ重大な打撃を受けている」
  • 偏った権利主張と損得計算の蔓延「日本の新聞・テレビは公器との建前で、再販価格維持制度
 低い電波料やで膨大な利益を享受している。公器=報道=健全なジャーナリズムが必須だが、
 損得計算・タブー等で"非報道領域が"が広く、上記事項・記者クラブを始め、主流マスコミに
 健全なジャーナリズムは存在しない。にも拘らず、公器なのに、既得権益を主張し続ける」

・テーゼ・教条の絶対化「組織・界隈の決まりきった典型思考・やり方を踏襲、疑問さえ抱かない」
・人工無脳化「自律思考が無く、柔軟な思考・感覚を持たなく、定型的思考・行動法しか持たない」
・マニュアル依存「公式・マニュアル・条文によると・・・などの思考法。事実よりこれらを重視する」
・外部・他律的権威の重視「何かしら権威による意味付けに依存、それにより納得・充足感を得る」
・権威の威光が強化「上記の思考により各種権威の威光が強化、社会において権威が重視される」
・不合理な分断化「ネット⇔マスコミが著しく分断、主流論(ノイジーマイノリティーも含め)・
 内容が全く違い、マスコミはネットの論・現象を取り上げない。そこでネットの一部は自分ら
 アンタッチャブルと認識、極論・暴論・非論理的言動を垂れ流し、益々低質方向へ純化していく。
 諸先進国ではここまでの分断は無く、各論・論点は、全てがマスコミ他で相互議論される」
・言質や責任所在の不明瞭化「鵺的空気が主体で、論理面から尻尾を掴ませてはいけなく、
 責任は取りたくないので、わざと意味が不明瞭な言葉を選択し続ける。
 "誤魔化し→いつの間にかそういう流れになっていた"という状況作りに腐心。
 ある判断・実行・在り方等が間違っていたと判明しても、何処に責任所在があるのか
 分かり難くする為に、わざと複雑な組織形態・法律・省令などにする」
・状況の不明瞭化「上記理由で、社会の各場面で、どういう状況か掴み難い様相になった。
 全体状況・意味合い・立ち位置を把握し難いので、"状況指摘の困難さによる改善の遅れ"
 "界隈に通じた、妙な専門筋・事情通等の跋扈""一般大衆の忌避・無関心化"などを招いた」
・忠誠心を高きを置く「非論理で、柔軟性・客観思考・改善思考・多様性が無いので
 "重用評価基準=如何に鵺的空気・力学・ムラの掟に高濃度に染まっているか"となる」
・低質化「改善思考・精神性・美意識を蔑ろ、金・力学・空気・流れが幅を利かすので、
 ゾーニング規制議論が抑制され、虫食い開発・宣伝看板など、街並みが汚くなっていく。
 また規制されるべき対象が残り続ける」
・形骸化「マスコミ・TVは男女平等を報道で言うが上層部の女性比率は低く、だが一応公器ゆえ
 "女子アナ=実質性皆無の飾り物や人形・男性司会者や御意見番の頷き役・意見は言えない"
 という役の設定で繕った。"格差の役割モデルの固定化役"と化し、益々形式主義・格差が悪化」
・形式主義「実質的思考がなく、型に嵌った"空気・前例"に依存、実質より形式・体裁を優先する」
・縦割り構造・ヒエラルキー強化「思考・空気・役割の固定化・硬直化→属性毎に分断・壁の固定化」
・バランスの悪さ「教条・形式・常識に囚われるので、各種社会活動に色が付き、
 "自由・客観的に真実の方向を追究、改善へ繋げる"等の感覚を持つ広範な社会運動が起きない」

・対個人へも含め、思考・感覚に次のような影響を齎した。
・前例踏襲の横行「自由思考が無いのでムラの論理に斉一化、前例踏襲のみで発展性が無くなる」
・空気の絶対化「建設的思考・改善論を封殺、非論理的な鵺的空気が場を支配、非従属者は排除」
・責任・論理・原因所在の不明確化「主体は鵺敵空気で、その実施主体・基盤論理等が分からない」
・ロボット化「決まっている・常識・流行っている・そういう物、だからそう考える・行動する」
・隷属志向「自律思考・感覚が無いので、空気・権威・金・力・周囲・他律的基準に常に従属・同調」
・他律的基準の絶対化「仲間内の空気に従属、世間と外れる事を嫌う。思考・感覚=世間・仲間内」
・内面の空洞化「精神的側面(自己内外の精神的な物)の比重低下、空疎な有象無象のみ関心」
・芸術の非芸術化・自己表現の他律化「例えば"音楽・装い"は本質的に自己表現から発するが、
 "個・自律思考・内発性"が無く"ブランド・宣伝物・流行り物・流行らせたもの"等が絶対化する」

・思考範囲の矮小化「自律思考の経験・錬度が無く、類型的常識・与件の範囲内の思考に終始」
・思考停止・放棄と思考能力低下「狭い思考の後に思考停止・放棄、本質的思考にまで至らない」
・非水平・非客観思考「思考・感覚が常時何らかの常識・基準に依拠、多様な視野から見ない」
・前提ありきの思考「"○○だから××と決まっている"と考え、他の要素・観測結果は無視」
・思考・感覚時に、高い壁を設ける「常識・空気・自論と異なる要素を無視、縦割り思考をする」
・非建設的思考・感覚「"壁の向こう側に存在するかもしれない真理・妥当性・目指すべき方向"
 を上記要因により無視、"ムラの因習・従来社会の問題点"を当然視する」
・社会の否定的方向・退化を固定化・強化する歯車となる「上記要因で否定的要素を受忍、
 同調圧力に晒され次第に無自覚に同化、その力学・空気を固定化・強化する歯車・存在と化す」
・集団的浅慮・合成の誤謬の自己中毒化「この悪循環を抜け出そうとするする感覚や
 疑問に思う感覚さえ、"個の抑圧・思考感覚の空洞化"により奪われているので、
 自己中毒的に集団浅慮・誤謬が固定・拡大、拠って各分野で問題点が残り続け、改善しない」
・非主流意見や寛容な意見の排除「主流論や急進的な論が大手を振るい、
 非主流異見のみならず、寛容・相互性にある考え方を排除していく。
 例:"検証実験受け入れ""国家主義・民族原理主義に不利益な事実の認定"等を否定」

・科学界でも「閉鎖化・蛸壺化」「ムラ社会化」が進行し、
 「従来概念」「常識・典型的思考法」「欧米の学会の通論」などの権威の絶対化と、
 「自由思考・物事への小さな疑問」「非主流論への真摯な検討・対峙」
 などの否定(=非権威の否定)という空気が蔓延した。
・これにより、「元来日本の多くの概念は波動原理に親和的で、
 市井研究家の手法・物も多い」という状況にありながら、
 「日本学界は欧米学会に従属しているが、欧米社会の力学は日本より自由なので、
 欧米の公的組織は日本の公的組織より、境界外科学の研究・成果が多い(日本ではほぼ皆無)」
 という奇妙な捩れ状況を産んだ。

・上記諸傾向・意識は「それが招く社会状況」「心理」「波動原理」どの面においても、
 「硬直的」「非柔軟」「原理主義的」「破壊的」
 「非調和」「非建設的」「上下感覚・格差助長の方向」である。
・これらにより「感覚・精神・心」
 「非金銭的・非権威的な価値」「自然環境」を軽視する風潮を招いた。
・「多くの有志」「善性」「改善論」は
 「組織論・ムラ的力学」により「排除・分断化・無効化」された。
・「これらの力学・空気」が日本中に蔓延し、
 「組織の方向性や個人の思考」への大きな影響要素となった。

・更に副次的現象として、このどん詰まりを打破する為に
 更なる「権威主義・統制主義の強化」「権力への翼賛」で対処しようという主張・意識が増えた。
・この意識層と、これを忌避する層に別れ、
 更に他の各種要素も加わり、多種の「(主にネット上の)思想的属性」を産んだ。
 (これら新規思考的属性の論には、従来の世間上の論(多くはマスコミ・政界などが提供した)より
 客観的な物も多数あり、従来社会の欠陥部分を補う役割も果たしている、との側面もある)

・「以上のような状況・力学」は、「放射能除去関連」においては、
 社会上層部の「無関心」「無責任(自分や組織に関係ない・管轄範囲外とする)」
 「不可能・トンデモとの決め付け、検証をしない硬直的思考」
 「組織論横行により、組織内の個別有志の意識の掻き消され」を招き、
 政官などの除去活動実施への決定的障害とならしめている。
・これらの傾向は世界中のどの国にもあるが、
 特に日本は「個の抑制・過剰同質性」「過剰同調の強要」
 「自由思考放棄を求める社会構造」により「自家中毒的症状」が著しくなった。
・「これらの思考・力学」によらない「草の根的な個・組織・意識」は何時の時代にも存在、
 「より調和的だった縄文時代」「八百万の神々」など日本の原初的感覚に近く、
 後代の「地方の様々な文化・習俗・信仰」「町人・農民文化」「寺子屋」等と同一線上にある。
・「元素変換による放射能の除染活動」「波動原理の研究」をしている人は
 「このような人・組織・意識」「調和的社会実現の希求心が高い」という傾向がある。
・しかし、日本人は世界的にも遺伝子的に「不安を感じやすい民族」だと判明していて
 これが「不必要な前例踏襲・常識重視・空気迎合」→「権威化・絶対化」→
 「集団の力の強化・個の弱体化」→「各種のおかしな制度・在り方」→
 「崩壊的状況」という流れになったとの面は大きいとも思われる。
 これは「意識の低さ」に起因する物でないので、因果応報な物とも言い難い。
 言わば「日本人のある種の不運さ」という側面も大きい。) -

今後の時代に必要になるであろうこと
・「波動理論や手法の早期発展と普及」
・「環境負荷の低い技術確率」
・「フリーエネルギーとエネルギー価格の無料化」
・「斥力を利用した浮上運輸装置・UFOのような乗り物」
・「超科学全般」
・「超能力・超感覚・波動感覚」
・「森羅万象の波動改善」
・「地域~地球の環境と自然回帰」
・「重要な自然環境や神域・遺跡など、各地域の波動的に重要な場所の保全と環境改善。古からの伝承・記憶・歴史・伝統の記録保管・継承(知られていない・教育で教えられていない・軽視により、現状では多くが放置されている。時間と共に消えていく物も多く、早期保全と認知化が必須)」
・「各地域や地元の環境や街並み・共同体等の改善と再構築」
・「歴史・伝統・文化や往古の基層(日本では縄文の文化や思想)」
・「先住民の歴史・文化・伝統・信仰の保護継承」
・「信仰、地域の伝統的・往古の信仰形態の復興・継承、信仰の自由、信仰とは個人に帰する事」
・「祈り・真摯な気持ち」
・「心・感覚・感受性・精神性」
・「調和・温かさ・慈愛・相互尊重」
・「共存・共有」
・「相対性・対等性・相互主義」
・「本質・普遍性・哲学」
・「水平思考・広い視野」
・「木も見て森も見る複眼思考・要素還元思考も内包した統合的視野」
・「壁や障壁を取り払った思考法・社会」
・「柔軟性・自由感覚・自由時間」
・「芸術全般・自己表現・世界観」
・「男女同権化と障害者・少数民族・性的少数者・その他全属性の対等化、従来の父権型偏重から父権型母権型の中央値への世界的なバランス移行」
・「個の広範な連帯」
・「旧弊を排した、自由で公正で広い視野の議論の場」
・「分野の俯瞰的認識を可能にさせる、統合的な研究・議論・認識・知識蓄積の場」
・「旧来の認識論が妥当なのか、どのような認識論が妥当なのか、あらゆる分野で広範な議論を重ねる事」
・「秩序崩壊・摩擦増加・強圧的(従来科学上の熱エネルギーによる加熱変性のような)でなく、会話と賛同と共通認識化という過程(波動の浸透共鳴と素材価値の最大化)を経てからの施行」

波動原理の世界的な認知後は、以下の理由で経済・貨幣の重要度が大幅低下していくでしょう
・「精神的価値の大幅上昇と物質的価値の低下(精神性価値に資する物品・サービスや調和社会に資する企業製品への購買意識増加)」
・「"叡智・科学・最先端=モノ(欲求充足の為のモノ)という構図の崩壊"→"大量生産大量消費=善という社会からの離脱"」
・「"モノ・施設・工事>自然"→"自然回復・維持=叡智や科学的結論"との状況になり、"自然破壊や物質的欲求で最重要事項たる経済を回す"という図式が成り立ち難くなる」
・「穢れた金より綺麗な金を望む感情」
・「世界中で環境破壊が止まり、自然回復が始まる事の印象効果」
・「金や働き詰めより、波動上昇・人生の価値や幸福・自由時間・趣味や探求や習得・家族や周辺との時間・奉仕活動を望むようになる」
・「経済も含めた競争論より、共存が重要だとの科学的証明」
・「共有の概念と手法の一般化と、所有の概念の減少」
・「殆どの物品・サービスのコスト低下(フリーエネルギー、農業・食品産業での効果、必要資材・設備の減少(項目6④の記事⑦)、劣化防止効果など多様な波及効果)」
・「浮上運輸装置の一般化で道路網・鉄道網や、居住地域・工業地域以外の中間地点の開発が不要化し、輸送網・付帯設備・付帯行為を集約でき、そのコスト・労働力が不要になる(物資の空間運輸で道路が不要化、高度集積化や分散居住が容易化)」
・「移動の拘束時間の大幅減少」
・「無料・無公害のエネルギーで、海など多くの場所からの資源回収が容易になるので、コストが劇的低下する」
・「ゼロ点環境では置いておくほど改質され、食品が劣化し難くなる。大量廃棄は食品が最も顕著だが、廃棄食品が減り、品質維持に要する行為も減る・無くなる。更に体が高波動だと内臓が丈夫になり、少々の腐敗物では大丈夫になる。特に過剰品質を求める日本では、廃棄物減少の印象効果は強く、小売店~社会広範に浸透する」
・「必要な生活費の低下と可処分所得上昇」
・「"既存インフラ改修や既存知識+波動手法"で事足りる事柄の増加」
・「医療需要の大幅減少・長寿命化・健康化による労働人口増加に伴う公的支出減少」
・「非常に多くの業態・物品・サービスの需要消滅(特に金融・博打)」
・「公金支出・徴税の適正化」
・「利益配分機能の無意味化・分配機能や利権を握っている体制の圧力からの解放・利権消滅」
・「社会の互助機能が高まる・老後の心配の低下」
・「生産消費の国内・地域内での完結化と貿易減少」
・「地方での自給自足型共同体の増加(収量増加とコスト低下で農業参入しやすくなる)」
・「"仕事の内容・目的が"金を稼ぐ"→"公共に資する"へ変化。またそれを行える状況になり、そのような仕事・組織も増える(NPOや共同体の増加)」
・「学びの意味の変化・教育機関の質的変化・大学の存在意義低下(生涯学習の増加、間口が広く草の根の勉強研究組織の増加、就職予備校の意味消滅)」
・「軍事費減少」
・「まだ多数が洗脳・正常化バイアス・社会的圧力の下だが、自己や社会の固定観念と権威が崩れ、広域除染や世界的変化を見て解放され始め、完全破滅危機だった311・原発事故と、自宅・地位等が全て終わる瀬戸際だった事を考えた時に、金・経済・権威・因習など非普遍的概念の相対化が起きる」)

【波動原理の世界的な認知後は、以下の理由で軍事・戦争の意義が消滅していくでしょう
・「暴力・酷い行為を行うと、何れ個人・子孫・国に因果応報で不利益が返ってくる事が認識化される」
・「無駄に自分の魂・子孫・国へカルマを増やす行為はしたくなくなる」
・「戦争・軍事は非調和その物で、科学的に著しく低波動だと周知される」
・「波動上昇による攻撃性低下と厭戦意識増加で、軍事解決や示威行為を阿呆らしいと看做すようになる。そのような思考の旧世代化」
・「ピラミッド型序列・ヒエラルキーの崩壊・無意味化」
・「世の中=奪い合い・我田引水、という潜在的認識論の終了」
・「社会的な思考行動原理が"国益の追求というエゴ剥き出し"→"論拠の多寡""本来的なあり方"と変化し、妥当な結論を下すようになる」
・「領有(所有)との概念の減少("自然的に・歴史的に・先住して住んでいた""業を営んでいた"・・・ので、普通の事としてその地を治めている、というような認識論)」
・「経済の意味低下と貿易減少により、不要な摩擦を生む対外関係が減少(類似の波動同士の交流が増え、それ以外とは減る)」
・「平等感覚が増して、優越思想が低下して、相手を抑えつける行為を忌避するようになる」
・「対個人・集団・人種・国家で、自他を対等と看做す感覚が増す」「国家主義からの離脱(郷土を大事に思う気持ちは高まり、国家主義はなくなっていく)」
・「対外の破壊意識・優位思想より、自国の環境・歴史・文化・伝統・信仰・郷土などの保護・復興・関心・探求・習得など、有意義な方向の意識が増加する」
・「同時に世界中・他国・他民族の環境・歴史・文化・伝統・信仰も尊重する」
・「世界的な既存認識論の崩壊と共に、現在の国内・対外・国際社会・人種間の、抑圧的で一方的な支配構造・上下関係も崩壊する」
・「権威主義・従属意識の減少(対外的・国際間・人種間の、不当な関係性や歴史への透徹した視点・議論が増え、従属からの離脱・解放が起きる)」
・「世界的な有志の連帯が増加して、草の根で起き、先行きの圧力低下方向が感じ取れるので、安堵感が広がる」
・「競争型から共存型への移行(軍事や社会のみならず、例えばスポーツでも自然一体型の登山・ハイキング・マリンスポーツ・ウインタースポーツ・カヌー等が増加するでしょう)」
・「原発・核廃止による印象効果」
・「各属性の同権化が進むが、戦争・権威等を忌避する傾向は、世界的に一般平均より"従来の社会的ヒエラルキーの下層属性"の方が高く、これが反映される」)


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項目3:量子水・還元水素水・水酸素ガスによる除染法 (メニュー3)
項目4:フルボ酸・微生物等による除染法 (メニュー4)
項目5:珪素・炭素同素体・ナノ物質・竹炭等による除染法 (メニュー5)
項目6:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」目次(メニュー6)
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最終更新:2014年06月13日 07:00
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